<16> #6

2009-05-24 00:38:34

「学級PTA」論への疑問 (その2 保護者の負担と軋轢は解消するのだろうか?)

テーマ:PTA

>(承前)
もっとも、保護者の負担や軋轢が解消されるのなら、参加が不可避になろうと、現実的な解決策として「あり」なのではという考え方もあるだろう。しかしながら、「全員参加のPTA」という大枠を維持したままで、はたして保護者の負担が解消の方向に向うのだろうかという疑念は抑え難いのだ。

「そんなに大変なのにどうしてPTA活動に励むのか?」と聞かれて、「そこにPTAがあるからだ!」と答えた現役会長さんがいる。半分冗談なのかもしれないが、一面の真理をついていると思うのだ。
何かがあれば、その中で頑張ろう、自己実現しようという人は必ず出てくる。ましてや、PTAとは、子どもの笑顔にも触れられる魅力ある活動でもある。
その時、そのPTAが真の意味での有志による活動であれば、問題はない。
ところが、それが「総動員型」のものであると、事態は非常に悩ましいものになってくる。つまり、簡単に言ってしまえば、熱心な人にその他大勢が引っ張られることになるのである。「他ならぬ自分達の子どものための活動なのであり、かつ、みんなで参加するものなのだから、みんなで負担しよう!」というのは、ある意味、説得力のある理屈である(「平等の権利と義務」論)。

それに対して、「だからこそ、学級委員以外は、ボランティアだと言っているのだ。」という反論があるかもしれないが、学級委員以外の役職をボランティアにするということは、学級委員の「仕事」が、質・量ともに肥大化する可能性を孕むはずである。
学級委員しかいなくなったら、今度は学級委員が広報委員や教養委員や選出委員的な仕事を兼ねさせられることは大いに考えられる。

「日本教育新聞」の記事における川端氏の議論に出てこないのは、本部役員の選出だ。
本部役員はどうするのだろう?
氏は、『PTA再活用論』で、本部役員は場合により選ばなくてもいいと述べている(p.47)が、もし本部役員を置かない場合、学級委員は、結果として本部役員の役割もこなさなくてはならなくなるはずだ。他には、委員はいないのだから。
組織の大枠の設定、次期の委員の選出方法の決定や選出実務その他の「大役」が学級委員の肩にのしかかってくることになるだろう。

「いや、そんな大上段に構える必要はないのだ。」と氏は言うかもしれない。それに対しては、「なら、学級保護者会にそれぞれが積極的に参加するのではなぜいけないのですか?」と聞いてみたい。
私は、学校主催の(←ここ、大切)保護者会のお茶だし当番なら喜んで引き受けるが、どこまで仕事が拡大していくか見当のつかない「学級委員」にはなりたくない。







1 ■無題
進化論の最終回でかなりのところ回答になっているのでは?

役員なんて選ばなくていいじゃないですか。

「代表」の機能がなくなって、PTA連をおやすいすれば楽になりますよ。

あとは、事務局ですが、メインの委員会が学年委員会だけなら、それこそしょっちゅうひらかれている学年委員会の定例会みたいものが、そのまま運営委員会になります。

やりたい人をつのって、いなけりゃ、なし。

これ、八王子のみなみの小方式ですね。

ただ、ここまでディテールに降りて行って議論をしたいのであれば、こういった疑問を吹き飛ばすような、「まるお版PTAへの提案」をガツンとつくっていただくのはどうでしょう。

ぜひ読みたいです。
2 ■Re:無題(5/24) その1
>カワバタヒロトさん
>進化論の最終回でかなりのところ回答になっているのでは?
役員なんて選ばなくていいじゃないですか。

このエントリは、「進化論」の最終回も踏まえた上で書いたつもりです。
以下の部分については、どうお考えですか?
***
それに対して、「だからこそ、学級委員以外は、ボランティアだと言っているのだ。」という反論があるかもしれないが、学級委員以外の役職をボランティアにするということは、学級委員の「仕事」が、質・量ともに肥大化する可能性を孕むはずである。
学級委員しかいなくなったら、今度は学級委員が広報委員や教養委員や選出委員的な仕事を兼ねさせられることは大いに考えられる。
  ・・・・・
もし本部役員を置かない場合、学級委員は、結果として本部役員の役割もこなさなくてはならなくなるはずだ。他には、委員はいないのだから。
組織の大枠の設定、次期の委員の選出方法の決定や選出実務その他の「大役」が学級委員の肩にのしかかってくることになるだろう。
(本エントリ、本文より)
***

>「代表」の機能がなくなって、PTA連をおやすいすれば楽になりますよ。

P連を休めば相対的に楽になるのは確かだと思います。
「代表」の機能がなくなるのは、決まるものも決まらなくなったり、責任の所在があいまいになったり、いいことばかりではないと思いますが。
(つづく)
3 ■Re:無題(5/24) その2
>カワバタさん
(つづき)
>あとは、事務局ですが、メインの委員会が学年委員会だけなら、それこそしょっちゅうひらかれている学年委員会の定例会みたいものが、そのまま運営委員会になります。

わたしの関わったPTAでは、学級委員も学年委員会もそんなに活発に動いていなかったので、そんなに簡単に動くものなのか?と疑問を感じます。いったい、集まって何を話し合うのか? 「学級内の担任を中心とした話し合い」ならよ~く分かるのですが、どうもピンと来ません。

>これ、八王子のみなみの小方式ですね。
みなみ野小の「PTA」の規約をもう一度見ましたが、学級委員が結局は本部役員の仕事をしていますよね? 学級委員自体の負担はわたしが懸念した通り、明らかに増えていると思いますが。
http://www.edu.city.hachioji.tokyo.jp/school/mnmne/
確か、カワバタさんもみなみ野小の方式を、学級委員全員が「副会長」のようなものだとおっしゃっていませんでしたっけ。

わたしの提案は、その3の「まとめ」に述べたつもりですが…。
この「まとめ」は、別レスの「ぼくもそれができれば一番いいと思います。けれど、「建前ではなく実質」の実質を保証するための妙案はお持ちですか?」という問いかけへのお答えになると思っています。問題がありましたらぜひご指摘をいただきたいと思っています。

カワバタさんのおっしゃる「力を抜く」勇気とは、学校に「主導」権を返す(学校主催の保護者会の機能を再確認する)勇気と、私としては考えたいです。
4 ■無題
流れを無視して失礼します。
>何かがあれば、その中で頑張ろう、自己実現しようという人は必ず出てくる。
この考え方自体は素晴らしい事だなあと思います。それを人に押し付けなければですが。後、その意欲が限度を超えて張り切り過ぎると、せっかくの素晴らしい動機がマイナスになりますよね。それがまるおさんの仰る“熱心な人にその他大勢が引っ張られることになるのである”と言う事でいいのかな?同意です。
本校PTAでは専門委員会の中で、学級委員が一番人気が無いかもしれません。仕事量が年間を通じて多く、多岐に渡るのです。きっと本部との繋がりも一番密になる役職であると思います。だからでしょうか?たまに、本部と学級委員会との線引きがうまく惹かれていない分野の仕事があるのです。実質、本部主催の仕事を「忙しい」本部に代わって学級委員がしています。大変だ・・・。
だけどじっくり考えてみると本部、学級委員共に(他の専門委員会も同様)「どうでもいい仕事」が多すぎるんですよ。これが一番の問題。ほぼ設立当時から変わらない、いえ、返って増えている仕事量、よく見ると要らないものばっかりを毎年の役員委員が「自分達の年に絶やすわけにはいかない」と必死にしがみついて守っている、これが問題。専門委員会を学級委員だけにするかどうかよりは「いらんもん、ぜ~んぶ削ってなくしてしまえ~!」と叫びたい。ミニマム目標に削ろうとしてもボコボコにされるだけだし・・・。
学校側に「いっその事県・市P連から抜けて単Pとして運営しては?」と提案しましたが、そういった決断は(いろんなしがらみがあるのでしょう)簡単に出来ないらしいです・・・。「ではせめて、毎年もめるなり手のいない役員選出を、立候補がなければその年は役員不在、またはその時に動ける人を募って臨機応変に皆で運営してみては?」と提案してみたのですが、苦笑で却下されました。
PTA廃止、一旦解体、一旦お休み!と行きたい所ですが、自治会、その他いろいろな繋がりがあるからか、ほいっと簡単にならない所がむず痒い~。
5 ■Re:無題
>通りすがりさん
コメント、ありがとうございます。
通りすがりさんのような、むしろ熱心な方に愛想をつかされるPTAって…と、改めて思いました。
「学級委員」の仕事の問題点も、実体験を踏まえてご指摘いただき、ありがとうございます。

今回、通りすがりさんがお示しくださったもろもろの問題。本当にお察し申し上げます。
ただ、個人(校長や本部役員)の問題もあるでしょうが、最近のわたしは、「仕組み」の問題だと考えるようになっています。
これから、この線の問題意識でいくつかエントリしていきたいと思っていますので、また感想等いただければと思います。

今日、「たぬ子の哲学ノート」に入れたコメントが多少関係すると思いますので、よかったらそちらもお目通しください。

では、では。

6 ■補足です >通りすがりさん
通りすがりさん

現役でお辛い目にあっている方に対して、退役の私が「悠長」なことを申してしまったかと反省しております。
構造の問題だとしても、その構造を放置している責任は一人ひとりの個人にあるわけですし、ましてや学校の幹部やその団体の幹部の責任は重いと思います。

では、では。