<17> #13

2009-05-24 00:54:05

「学級PTA」論への疑問 (その3 「学級PTA」は中間集団全体主義の場にならないか)

テーマ:PTA

>(承前)
学級保護者会(さらには学年、全体保護者会)がまともに機能するだけでは、何が足りないと言うのだろうか?

『PTA再活用論』では、学年・学級委員会は、PTAの「根幹」であり、「必要欠くべからざる要素」であると述べられている(一章-2)。学級PTAを不可欠的なものとして提示するなら、学級保護者会では得られないものを明確に示してほしい気がする。
川端さんのこれまで書かれてきたものや、ネットでの様々な人の体験談や意見を見てきた限り、私には、学級保護者会では得られない、「クラスを中心とした集まり」などというものの必要性は見つからないのである。

両者の違いにこだわる必要はないという考えもあるかもしれない。
しかしながら、両者には、実は、見過ごせない違いがあると思うのだ。
学校主催の保護者会なら、ひとりひとりの保護者はひとりひとりの保護者として扱われる。法令で決められているような給食費の支払い等を除けば、何か要請があるときは、いちいちひとりひとりの保護者に問い合わせや要請があり、イエス・ノーの選択の自由が保護者には保障されている。(たとえば、運動会のお手伝いボランティアの募集など。)
他の保護者から何かの仕事を強要されるなどということも、もちろんありえない。

ところが、保護者主導の集まりができるとどうなるかは、PTA問題に悩まれた方ならお分かりですね。
そう。保護者ということで、「みんなで決めたこと」には有無を言わさず付き合わされることになるのである。ベルマーク運動にしろ、運動会の不法駐車の監視にしろなんにしろ、“民主的な話し合い”のもと決まったことは、たとえ自分として不必要だと思われることでも参加せざるを得なくなるのである。
また、学校や行政からも仕事をとても押し付けられやすくなるのは、柳下さんのブログでのエピソードの通りである(「なぜ断われないのか」http://ameblo.jp/wasabiabo/entry-10248679954.html)。

学校主催の保護者会ではその個を尊重されるひとりひとりの保護者が、皮肉にも 保護者主導の集団 では有無を言わせてもらえず十把一絡げの扱いを受けることになってしまうのだ!(これ、なんか逆説的だけれど、そうですよね(?))
※つまり、里山さんの言う「おもち」状態(http://tanuko418.exblog.jp/i2/)。

ここに見たような「わたくし」に対する不当なる制限は、いじめ学者の内藤朝雄氏の言う「中間集団全体主義」ではないだろうか。
公立学校のクラスのような、思想信条も生活条件も千差万別な人々の集まりにおいて、「閉じられた空間」をつくると、そういう息苦しいことになるのだと思う。
それは、内藤氏が指摘する「べたべたした関係を強要される学級」に通底してはいないだろうか。


まとめ
保護者と教員、保護者同士の一定の連携・親睦が大切なのは確かであるが、それは学校(担任)主催の保護者会で十分に実現できることである。
学校主催の保護者会を充実させることで全ての保護者とって不可欠なもの(=ミニマム)は確保した上で、PTAは、「更なる活動」を志す、額面どおりの有志による「社会教育関係団体」にすべきだと思う。
そして、有志がいない学校は、PTAを廃止ないし、休会すればいい。
PTAとは「学校とは別組織の一社会教育関連団体」なのだから、これは当たり前のことのはずである。
保護者による学校支援は? これは、川端さんも紹介し、賛成されているように、必要なことは学校から保護者に協力を要請すればいい(西東京市の学校ではそのやり方でうまく回っているとのことである。)。

やはり、思うのである。
総動員型のPTAは成仏し、真の有志によるPTAに生まれ変わるべきだと。
(ていうか、もともとPTAってそういうもののはずなんですよね…。)

ひとりひとりの保護者や教員にPTAへの入会・非入会の選択の自由を、建前ではなく実質として保障することが肝要だと思う。
そこを避けては、PTAをめぐるごたごた、「保護者を追い詰める負担の構図」は解消しないのではないだろうか。


なお、当該記事に対する川端さん自身のブログでの紹介は、http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2009/04/post_ad51.html。
学級PTAの重要性について説かれているのは、『PTA再活用論』の一章-2と、ブログ版では、「第5回 学級PTAの潜在力を思い出そう」http://minnanopta.seesaa.net/article/62614827.html。








1 ■学校主催かPTA主催か…。
主催は誰なのか、って大事だよね…。
責任の所在がハッキリするし…。

川端さんは社会的影響力の大きい人だから
きちんと批判して議論を深めていけるといいね…。 (^-^)
2 ■無題
ええと、これまた、まったくもって納得できます。

学級PTAが「中間集団全体主義」になりかねない、というのは切実にそう思いますね。

どんどん主張してください。

ぼくがこのまえ、そっちのことを強調しなかったのは、一応、任意加入の周知は押さえていること。

また、任意加入を周知しただけでは、うまくいかない事例があまりに身の回りに多いこと。
形だけの任意加入で、実質は全員自動加入のところよりキツイということが簡単にありえること。
こういったことから、「任意加入の周知だけではPTAは変われない」という思いが強いからです。

つまり、任意加入は必須であり、しかし、それだけでは足りない。

だから、PTAの任意性をたかめるさまざまな方策が必要で、それを今のPTA役員さんや会員さんたちに提案するなら、こうかなあ、というのが、「進化論」や「教育新聞」のメッセージです。

だから、任意加入はあたりまえのこととして実現してもらって、その上で、学級委員会以外(それは保護者と教師の直接の関心が集中するところだから)は、ぜーんぶリセットしちゃえば?
と提案してみたわけです。

その際、やっぱり、ダメダメな学級PTAになってしまうのはありえるけれど、ぼくはそんなに悲観的ではないんですよね。
でも、心配なら、どんどん、主張してください。

まるおさんの主張に、ぼくはほとんど異論はありません。
3 ■社会的影響力
サトヤマさん、ぼくはそんなに社会的影響力が大きいでしょうか。
なにをもってそうお考えですか。
ことPTAについては多くの時間的・精神的リソースを割いてきましたが徒労感の方が大きいです。
なあんにも、響きゃしねーじゃない。というふうな。
4 ■補足です…。
あと…、
・ミニマム … 保護者会 (学校主催)
・オプショナル … PTA活動 (PTA主催)

こんな感じかな…?
5 ■川端さんへ。
あ、こんにちは…。

「社会的影響力」=「PTA問題の第一人者」
というニュアンスでした…。

あと、川端さんのブログなんかを見ても
いろいろ参考にしている役員さんが
多いような気がするけどな…。
6 ■お待ち致しておりました。
まるお様
御意、でございます。

しかし、行政が社会教育の一環としてのPTA活動の推進を目的としている以上、又、日Pや県Pが公益法人として存在している以上、無くすわけにはいかない事情があるのだと思います。
有志の会ではだめ、なのでしょう。

私はPTAを否定する立場ではありませんが、教育公務員に対して手を差し伸べる為には、彼ら自身が身を削るしかないのでは、と思います。
自らの権利を主張しすぎる様を見ると、「黙って仕事しろ!」と思ってしまうのは私だけでしょうか?(病院で手伝いはしましたが・・。)
7 ■コメント、ありがとうございますm(__)m
カワバタさん
早速、コメントをいただき、ありがとうございます。

いただいたコメントについて、いろいろとお答えしたいこと、考えたいことがあります。
今、明日の仕事の準備でばたばたしていますので、明日の夕方以降にお返事差し上げたいと思います。
よろしくお願いいたします。
8 ■PTA再生論は「影響大」です。
カワバタヒロト様
初めまして。
当地でも「PTA再生論」が掲載されました。
私の周りでの反響は大きかったです。
最後のPTA総会に於いても「新聞に掲載されたPTA再生論により周知の事実ではありますが、入退会の自由は明記すべきである」、と発言しました。(一人で20~30分は喋ってました。)
殆どが教職員と役員関係者のみでしたが、前回同様、数名の方が頷いておりました。

大変に神経を使うお仕事だと思いますが、これからも「迷える庶民」をお導き下さい。宜しくお願い致します。
9 ■こんばんは!
PTAのあり方とは…様
コメント、ありがとうございます。
なるほど、私の疑問は、「お上の意向」ともリンクするわけですね。
ただ、わたしも「なくせ」と言っているのではなく、額面どおりの「任意参加の会」にしてくれ、と言っているだけなのですがね…。
でも、お上にとっては、それも「許せない」のかも?
あり方とはさんの提言と行動は、そのようなお上の傲慢さに切り込むものとして、注目させていただいています。
10 ■任意加入だけではとは言っても(カワバタさんへのお返事2)
カワバタさん
う~ん、ここの部分が自分には非常に分かりづらいです。

>「任意加入の周知だけではPTAは変われない」という思いが強いからです。
>つまり、任意加入は必須であり、しかし、それだけでは足りない。

これは、確かにそうでしょう。しかし、任意加入の周知が大切な第一歩であることは同意いただけますよね。
その上でお尋ねしたいですが、疑問その1で述べましたように、「学級PTA」の充実化は、任意加入とは大きく矛盾するものだと思いますが、違いますか?
任意の周知もなにも、参加の任意性は、「学級PTA」という装置を作動させた時点で、霧消してしまうと思うのです。
それとも、カワバタさんのイメージしている「学級PTA」は、わたしなどがイメージするものとは違うのでしょうか?
(【活動の】任意性を高めることには一役買うとは思いますよ…。しかし、これとて疑問その2ですでに触れ、お返事の3でとりあげたいと思いますが、学級委員の仕事がしんどいものになる可能性は大だと思っています。)
11 ■無題
自由な入退会の周知は、必ずしなければならないことだと言い続けています。
これは、PTAについて発言しはじめてから、ずっと、です。
ぼくは、ものごとで、白と黒にはっきり分かれることは少ないと感じる方ですが、これについては、今のPTAはかぎりなく黒だと感じていて、「自由な入退会を周知徹底しないのは、ダメダメ」であるとおもいます。

>任意加入の周知が大切な第一歩であることは同意いただけますよね

とのことですが、これは相変わらず、不思議です。
そんなにぼくが、この件、同意できないようなこと書いています?
これだけの時間をかけて、たくさん文章を書いて、懸命にこの問題を訴え続けている自負もあるのですが。


>「学級PTA」の充実化は、任意加入とは大きく矛盾するものだと思いますが、違いますか?
>任意の周知もなにも、参加の任意性は、「学級PTA」という装置を作動させた時点で、霧消してしまうと思うのです。

というのは、ぼくには分かりません。「自由な入退会ができる、学級PTAを基本としたPTA」というのはありえないのですか??

とはいえ、ぼくは、「自由な入退会ができる、学級PTAを基本としたPTA」が理想だとか、そうでなければならないと思っているわけでなくて、別に学校の保護者会やら、保護者の緩いネットワーク(「組織」ではなく)が、同等の機能をすることも十分可能だと思っており、「学級PTA」を強調しているのは、今の現役のPTA会員、とくに執行部に語りかけている意識が強いからだと自己分析いたします。
12 ■川端さんへ…。
「学級PTA」に対する感想を
自分のブログにも書きました。

お目を通していただけたら幸いです…。


13 ■無題
任意加入を知らない方の多い事。「知らない方が多い」という事実にびっくり。時として、「知らない」事自体損ですね。未だに「強制加入じゃないの?」「退会なんて出来るの?」「入らないって選択は有り?」と話す会員さんが多い。まさか日本の法律で加入が義務付けられている団体じゃないですよね?だったらPTA規約がどうであれ、入退会が周知されていようとなかろうと、事情があったり、賛同できない考えetcがあれば自由に加入しない意思を示すか、退会してもいいような気がしてならない。それすら出来ないよう脅迫したり拘束する権利などPTA役員や学校には無いような気がするのですが。いっその事、退会者が増えてPTAが必然的に機能しなくなるようになれば、変わらざるを得なくなるんじゃないかとまで思ってしまう。内側から改革を試みようと、外から意見を述べようと、追い詰められて終わり。退会者も少しづつ声を挙げていければ、そして賛同者が増えれば、そう願います。
クラス内の保護者&児童間のトラブルが絶えず、何とかならないか、緩和できないかと学級委員を経験しました。学校と児童&その保護者との橋渡し的な役目であるとの印象を持ったからです。ですから、一学級委員として、保護者会などでお子さん方の困り事(あくまで宿題の仕方など、あえて軽い話題のみを取り上げて)を議題にする事で何となく保護者間の軽い交流が図れないものかと願いました。子供同士のトラブルがあったとしても互いに親御さんが親しくなくとも顔見知り程度、話した事がある等であればその対応にも幅が広がる、全く知らない者同士よりは穏やかに済む事もあるのでは?と思ったからです。(今から思うと甘い?かもしれません)実際はそんな時間など全くありませんでした。本部の仕事を請け負ったり、仕事内容が多岐に渡ったり。「学校と児童&保護者の橋渡し的な役目」など全くなかったですね。強いて言えば言い方は悪いですが、本部と学校のお手伝いさんかな?PTAの基本理念は本来ならばボランティアのはず。強制、威圧、抑圧、押し付け合い、いじめなど無い環境で、意欲的に無理の無い範囲で出来る事を出来る人が、と言うのが基本であって欲しい。そうであるなら学級PTAもありかな?とも思いますが、上記のような寛容な精神を持った、真の意味で気持ちに余裕のある保護者が現代にいるのだろうか?