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2009-12-15 22:20:44

関係性の中の「わたし」 ①授受表現(その1)

テーマ:エビデンスとしての日本語
<「あげる」と「くれる」>
(1)(わたしは)あの人にプレゼントをあげた。
(2)あの人が(わたしに)プレゼントをくれた。

日本語では「わたし」の立場により、「あげる」と「くれる」の使い分けがなされる。
例文(1)のように「わたし」の立場が「与え手」の場合は「あげる」が使われ、例文(2)のように「わたし」の立場が「受け手」の場合は「くれる」が使われる。

「あげる・くれる」の使い分けは日本人には当たり前のことであり、ふだん意識にのぼることはほとんどないと思われるが、実は、この使い分けは世界的に見て非常に珍しいものなのだ。

英語で考えてみよう。(1)(2)の動詞はいずれも「GIVE」になる。

(1')I gave him ~.
(2')He gave me~.

英語では、「わたし」の立場が「与え手」であれ「受け手」であれ、一つの動詞(「GIVE」)が使われるわけである。

中国語も同様で、「給料」の「給」(ゲイ)が「GIVE」と同様、「わたし」の立場に関わりなく用いられる。

(1'')我 給 他 ~。
(2'')他 給 我 ~。

韓国語は、日本語と語順も同じで、敬語もあり、主語を表す「~が」と「~は」と同様の区別をする助詞もあり、指示詞も日本語と同様「こ・そ・あ」の3系列を持ち、というように、文法的に日本語と共通するところの多い言語なのだが、この「あげる・くれる」の区別はない。英語や中国語と同じく、ひとつの動詞(「ジュダ」)が用いられる。

Newman(1996)は、授受動詞としての「GIVE」に相当する表現について世界の100を越える言語について調査を行っているが、日本語の「あげる」と「くれる」のような区別をする言語は、アフリカのマサイ族の言語のみであるとされている。また、Yamada(1996)も同様の調査を30余りの言語について行っているが、日本語以外には同様の使い分けは認められないとしている。(この部分の記述は、池上(2005)を参考にしています。)


<「義務」としての受益感情の表現>
授受表現をめぐる日本語の特徴としては、次に見るように、授受動詞が補助動詞としても使われるという点があげられる。

次の例文をご覧いただきたい。

(3)「知らない男の人が私に声をかけて、私を駅まで連れて行きました。」

留学生の作文の一節だ。この部分だけを見ていると、声をかけた男性が不審者のように感じられるのではないだろうか。しかし、実は、その男性は、来日したその日にさっそく街に出かけたものの暗くなるなか迷子になって途方に暮れていた留学生に親切に声をかけてくれた恩人なのだ。

この文のどこに問題があるのかといえば、「受益感情」を表す「~てくれる」が用いられていない点である。

(3')「知らない人が声をかけてくれて、駅まで連れて行ってくれました。」

とすれば、誤解されない自然な日本語になる。

留学生に接していると、同様の例によくお目にかかる。

(4)??「きのう引越しをしたのですが、隣の人が手伝いました。」

(5)??「そこはもう鈴木先生が教えました。」
(「??」は自然な日本語として問題があることを示す。以下、同じ。)

これらの例も、「隣の人が手伝ってくれました」「隣の人に手伝ってもらいました」、「先生が教えてくれました」「先生に教えてもらいました」と「~てくれる」「~てもらう」を付け加えれば問題はなくなる。

つまり、日本語では、「お世話になった」場合は、それに対する感謝の気持ちを明確に表現しないと自然な表現として成り立たなくなるというわけである。
日本語においては、受益者の立場に立ったときは「~てくれる」、「~てもらう」を使い、相手に対する感謝の気持ちを表現することが「義務的」なのだということができる。
そして、この点においても、日本語は世界の中でもユニークな言語であると言えそうなのだ。

「~てくれる」「~てもらう」「~てあげる」といった恩恵性を表す表現は、そもそも欧米の言語や中国語には見当たらない。

先にも参照したYamada(1996)によると、日本語以外に授受の補助動詞を用いて恩恵性を表わすのは、韓国語、タイ語、カザフ語、シンハリ語、ネパール語などの言語に限られるようだ。

しかも、それらの言語も日本語に比べると用法がずいぶんと限定的なのだ。
例えば、先に見たように、韓国語は日本語と文法的に共通する要素が多い言語だが、「~てあげる」と「~てくれる」の区別はなく、また、「もらう」に相当する動詞を用いて「~てもらう」のような表現をすることは通常ないとのこと。
ネパール語も、韓国語と同様、「~てあげる・~てくれる」を一つの形式で表わし、「~てもらう」に相当する表現を持たないそうだ。

つまり、韓国語やネパール語は、日本語の「~てくれる、~てもらう」のような受益感情をもっぱら表わす表現はないことになる。
(少し話が横道に逸れるが、このことと関係があると思われるのだが、韓国語では、相手にとって恩恵的であれば「~てあげる」が使われやすく、その結果、かなり日本語に熟達した韓国語話者でも、「お箸を付けてあげましょうか」式の表現(コンビニの店員さんの発言として)をしてしまうことがある。)

カザフ語には「~てもらう」に相当する表現があるようだ。となると、受益感情をもっぱら表わす表現を持つのは日本語とカザフ語ということになる。
しかし、そのカザフ語も「~てくれる」と「~てあげる」の区別はない。

こうして見てくると、日本語は、受益感情を表わす補助動詞を持つという点においても、ユニークな言語であると言うことができそうだ。


参照文献
池上嘉彦「言語における<主観性>と<主観性>の言語指標(2)」『認知言語学論考』No.4
庵功雄他『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』スリーエーネットワーク
Newman,John.1996.Give:A Cognitive Linguistic Study.Berlin:Mouton de Gruyter.
Yamada,Toshihiro(1996)‘Some Universal Features of Benefactive Construction’『日本学報』15 大阪大学日本学