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2010-01-10 23:33:36

関係性の中の「わたし」③あいづち(その1)

テーマ:エビデンスとしての日本語
<日本語の特徴としてのあいづち>
日本語の特徴としてとりあげられるもののひとつに、「あいづち」がある。

同じ部屋の中で、日本人と外見上あまり差がないアジアの人たちのグループと、日本人のグループが会話をしている場合、「あいづち」をよく使っているかどうかで、日本人のグループか外国人のグループかが判別できるという意見もあるという(水谷修1995)。

水谷信子(1988)は、「ほとんどの外国人は、相手が話しおわるのを待ってから口を開くのが礼儀だと考えて」おり、「あいづちを打つ日本人を『話の邪魔をしている』と感じている外国人は、少なくない。」と述べている。

なお、水谷信子は、日本語の特徴としてのあいづち(狭義)は、

「いいお天気ですね。」
「そうですね。」

の「そうですね」のような返事としての広義のあいづちではなく、

「きのう仕事で新宿に行ったんですがね…」
「ええ」
「帰りに高島屋に寄りましてね…」
「ほう」

の「ええ」や「ほう」のような、話し手の語句の切れ目ごとに聞き手が「そこまでわかりました。次をどうぞ」という意味で入れることばであるとしている。


<あいづちの頻度に関する実証的な研究>
終助詞の検討のところでも参照した泉子・K・メイナードの『会話分析』において、あいづちの頻度に関する日・米比較が試みられている。

メイナードは、あいづちを「話し手が発話権を行使している間に聞き手が送る短い表現(非言語行動を含む)」(p.58)とし、具体的には次の三つのものをあいづちとしている。
1.「うん」「ふうん」等の短い表現
2.頭の動き(はっきりした頭の縦ふりと横ふりのみ)
3.笑い、笑いに似た表現
※論者によっては、このうち1のみが「あいづち」とされる場合がある。

終助詞のところでも参照した日米各20組、計120分の日常会話のデータを見てみると、次のような結果が出ている。

日本語              
1.短いことばによる表現:614
2.(言語表現を伴わない)頭の動きのみ:164
3.笑い:93
合計:871

米語
1.短いことばによる表現:215
2.頭の動きのみ:150
3.笑い:63
合計:428

合計をみると、日本語:871、米語:428と、日本語会話では米会話の2倍の頻度であいづちを送っていることが分かる。
ちなみに、日米の40組の中で、(3分間のデータ中)あいづちがもっとも少なかったのはアメリカ人の組の6回、最も多かったのは日本人の組の55回だったという。
注目すべきは、「ことば」によるあいづちの差である。1の「短いことばによる表現」だけを比べると、日本語の頻度は米語の実に3倍である(614:215)。いっぽう、2の「頭の動きのみ」を比べるとほぼ同数である(164:150)。

<質的な差異>
ところで、上に見たのは、日米の会話に見られるあいづちの量の違いであるが、「質」の違いとして注目される違いがある。それは、日本語会話の場合には、「話し手の発話に伴奏のように使われる」あいづちが目立つことである。文末やポーズで区切られる句末ではなく、話がスムーズに進行している間に聞き手が送ったあいづちは、日本語のほうでは合計100個所に見られたという。
このような点に注目し、メイナードは、あいづちの機能は単に「続けてというシグナル」ではなく、「当事者間の心理的、感情的なふれあい」に求める必要があると述べている。

また、あいづちの現れた「談話上のコンテクスト」が整理されているのだが、
米語では、「文末のポーズ付近」が総数の82.84%、「付加疑問の付近」が6.97%で合わせて約9割に達するのに対して、日本語では、「文末のポーズ付近」51.02%、「付加疑問の付近」7.85%で、合わせて約6割。
文末のみではなく、「語句の切れ目ごとに」送られるところに日本語のあいづちの特徴があるという水谷の指摘と符合するデータであると言えよう。

<話し手の側の動き>
あいづちとは、「話し手が発話権を行使している間に聞き手が送る短い表現(非言語行動を含む)」という定義に見られるように、基本的に聞き手にかかわるものであるが、話し手側のあり方について、メイナードは興味深い指摘をしている。それは、日本語の話し手は、話の句切れ目で「コンマで切るように」頭をよく動かすというのだ。そして、米会話ではこのような話し手の頭の動きの頻度は著しく低いという(日本のほぼ10分1以下というデータが出ている)。
あいづちとしての頭の動きは先にみたように米会話でもよく用いられるわけであるが、話し手の頭の動きは英語では極端に少なく、使われた場合は、強調のために使われることが多いという。

「米会話には、日本語会話に見られるような当事者が2人で同時に頭を動かす『協力リズムとり』の例は皆無であった。」
とメイナードは述べている。


<まとめ>
話し手が話をしている間、伴奏のようにあいづちを送る聞き手と、聞き手に向かい、話の句切れ目句切れ目で頭を動かす話し手。
ここには、それぞれが自らの表現を完結させつつ情報や判断の交換を進めていくという、ふつうイメージされる「対話」とは違った、ひとつの表現を話し手と聞き手が協力しながらつくっていくという特徴的なスタイルが認められる。
冒頭で引用した水谷信子は、日本語会話に認められるこのような側面に注目し、「対話」ならぬ「共話」という概念を提唱している。

続いて、英語以外の外国語のあいづち、「共話」について触れたい。


参照文献
水谷修(1995)「相づち」『日本事情ハンドブック』大修館
水谷信子(1988)「あいづち論」『日本語学(特集あいづち)』7巻13号
泉子・K・メイナード(1993)『会話分析』くろしお出版