<199> #12

2012-01-07 15:42:46

「入退会自由なPTAを求めて」を聞いて(4) 校長先生との立ち話から考えた

テーマ:PTA
※前記事末の予告と少し内容が変わりました<(_ _)>。

発表会終了後、会場で、発表者の桝谷さん、桝谷さんのお子さんの通う寺岡小の校長先生、Gururiさん、デムパさんたちと意見交換をすることに(そばに座っておられた方が、朝日新聞の記者であることは後で知った)。

<改めて校長先生に疑問を投げかける>
私は、質疑の時間に提示した学校・教委関係者に対する問いかけをもう一度してみた。

「保護者と学校の連携としてこれだけは外せないという部分は『保護者会』が担うことで、PTAを入退会自由にしても特に困ることはないと思いますが、どうでしょうか?
『いや、実際問題としてはこんな問題があるんだよ』といった、現場体験を踏まえたお考えがあればぜひ聞かせてください。」

すると、

「他の地域は違うかもしれませんが、仙台ではこれまでずっと100パーセントの参加でやってきたんですよ。そして、その中で、地域活動で活躍する人や議員になる人もたくさん出ているのですよね。」

との返答。
入退会自由にすることには、依然賛成しかねるようであった。
「壁は厚いな」と感じました。


<校長先生からの返答を聞いて考えた>
以下は、現時点での感想。
確かに、PTAが地域で活躍する人材の「苗床」になってきたという一面はあるだろう。しかし、だからと言って、PTAという法的に何の権利も義務も持たない存在が保護者の自由を縛ることを正当化できるのだろうか。

「地域の人材輩出のためには保護者の選択権は制限されてもやむを得ない」ということなのだろうか?

お聞きすれば、そんなつもりはないとお答えになるように思うのだが、「入退会の自由化を推進しない」ということは、つまりそういうことだと思うのだ。


(この国の「社会教育」・「地域コミュニティづくり」への疑問)
年が明けてから桝谷さん情報により知ったことだが、寺岡小の野澤令照校長は、「社会教育」の方面で大変業績のある先生で、前の仙台市教育委員会の次長でもある。
前々回の記事で仙台市における「嘱託社会教育主事」の制度に言及したが、その制度とも深くかかわりがあり、「平成4年度から仙台市嘱託社会教育主事の委嘱をうけ、小学校に勤務するかたわら社会教育にも携わる」(野澤先生の個人サイト)とのこと。

また、野澤校長は「仙台の地域支援本部実施の中心人物」でもあり、政策研究大学院大学・読売新聞東京本社主催の
「「市民協働」と地方の時代の教育 -地域コミュニティづくりが変える地域の教育-」
というシンポジウムのパネリストも務められている。


そう言えば、そのシンポジウムの(たぶん)仕切り役である今野雅裕氏(元文部官僚・現政策研究大学院大学学長特別補佐)は、この国の社会教育、PTA政策に長く関わってきた方だが、今野氏は、かつて、PTAの全員参加体制に触れて、見直されるべきは、「親の網羅的な機械的参加」ではなく、「親の側の意識の浅さ」、「活動の不十分さ」のほうであると主張している。
(『日本PTA50年の歩みと今後の展望』「第5章 新しいPTA運動の発展を目指して 第2節 組織編成の見直し(1)保護者全員の参加で」)
※同様の見解は、こちら でも述べられている。


「校長先生との立ち話から話を広げすぎ」との批判を受けるかもしれないが、社会教育・地域コミュニティづくりの分野において重要な役割を果たしておられるお二人の言動に認められる、その「個」に対するスタンスに大きな違和感を感じるのだ。

「地域」といい、「地域と学校との連携」といい、「協働」といい・・・
それらのものが、「個の抑圧」につながる負の側面も持っていることは、戦前・戦中の日本において「地域」や「絆」が果してしまった役割を少しでも考えてみれば明らかであろう。

その負の側面への反省と警戒を含まない「美しい言葉や活動」には、これからも大いに警戒と批判の目を向けていきたいと思っている。

なおなお、地域支援本部に関しては「設計年度」の新しさからか、少なくとも私の耳に入ってくる限りでは、PTAのような強制性は(少なくとも現時点では)見られないようである。
また、野澤先生に関しては、桝谷さんも「この方の存在がなければ、我が子もどうなっていたか分かりません。おかげさまでいじめなど皆無で、我が子は元気に楽しく学校生活を送っています。彼は野澤先生も担任の先生も大好きです。」と述べておられることを付記しておきたい(Think! PTA! Open BBS【1926】)。


<仙台市教委からの回答?>
桝谷さんから、以下のようなメールをいただいた(2012/1/5)。

*****
嘱託社会教育主事について仙台市教育委員会に質問してみました。
寺岡小学校の場合、野澤校長先生と6年生担任の○○先生がその委嘱を受けているそうです。
嘱託社会教育主事とPTAの関係については「特にない」との返事でした。

市教委のページを見ると、

職務
(4) 地域における社会教育関係団体の育成及び援助
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/syougaku/syokutaku/soshiki-settiyoukou.html

と出ているのですが。
PTAは「地域における社会教育関係団体」ではなく「学校の嫁」という範疇に入るのではないでしょうか。
*****

社会教育主事とPTAの関係が「特にない」とは驚くべき回答であると思う。
これが先日の研究発表会での当方の問いかけに対する仙台市教委の回答なのでしょうか。

この国の「社会教育」・「生涯学習」とは、いったいなんなのか?
じっくりと考えていきたいと思います。





1 ■子持ち限定に違和感
PTA(生涯教育)を現役保護者に課す全員参加型には全く賛同できません。同年代知人の子持ちは半分以下です。未婚者や子無し既婚者の同年代とあまりにも貯蓄額が違います。教育資金に加えて老後を考えると生涯教育よりも仕事を優先せざるをえません。たとえ今近い位置にあるコミュニティーから白い目で見られても、広い地域と長いスパンで考えれば少しは心が軽くなります。PTA(生涯教育)を子持ち以外にも同様に課すならば、百歩譲ります。ボランティア熱心で老後ボロ屋敷では子供に申し訳がないと考えています。


2 ■公共施設としての苗床
これは、あくまで私の推測です。

行政は、PTAをゆくゆく地域コミュニティー教育の組織としての役割を持たせ、地域管理者の育成苗床として考えているのでは?と時々思っています。

少子化の昨今、均衡が崩れて歪みが出始めているのかもしれないですね。

ここで、例の指定管理者制度の問題も
絡んでくると思います。

地域の民生委員は地主や
学校関係退職者が多いのも決して
関係が無い事だとは言えないと考えています。

指導している。と思えばこその理不尽な
圧力だろうと思える事は多々ありますから。

黄色の帽子の例は、いじめに対する親切心からの指導だと考えておられるのかもしれないですね。

根底に暴走した思想が絡めば
息をする事が難しくなる事を心配しています。

誰か一人をつるしあげて
自分達は安泰で良かったね・・・
あそこは、子供のいない家庭だものね・・・
等となりかねないですから。


3 ■学校の悪意
こんにちは。

学校にとってPTAは旨味があるのでしょうね。

まるお様の仰る通り、

各保護者と学校の一対一の連携は学校主催の保護者会で十分です。

もちろん参加も自由ですし、
単に保護者と学校が集まってるだけです。

たまたまヨコで団結していることもあるかもしれませんが、
もともと保護者会自体は結束を意図していないと思います。
(学校が強要できないし)

これに対して団結(保護者を縛ること)を目的とするのなら、

PTAのようなダミー組織が有効です。

それでも参加は自由なんですが、
学校は組織を通じてみせかけの参加強要ができます。


確かにいい意味の結束はあるでしょう。


PTAは校内で活動することが多いですし、役員や使用許可を通じて事実上、
学校の言いなりになるわけです。


学校が保護者を縛りたいとは口が裂けても言えませんので、

他の組織を隠れ蓑に保護者を管理拘束したいのです。

PTAとは表向き子供の健やかな成長と幸福を願う組織ですが、
実体は学校の圧力組織です。

だからPTAの活動が形骸化しても学校にとってはどうでもよく、
とにかく全ての保護者を拘束する為に全員参加が必須なのです。


4 ■学校の悪意2
学校の管理責任者である校長は、

学校で保護者の意見対立から校内にいざこざが起きることを極度に嫌いますでしょう?

意見なんか保護者の数ほどあって対立なんて本来当たり前なんですが、


しかし治めるのは公務員の仕事としては楽じゃない(笑)。


学校にとって意見なんかどっちだっていいと思います。

ただ、必ず全員が一致した考えであって欲しいだけです。

そこで、思想を統一し楽に学校運営ができる便利な道具がPTAなわけです。


校長教頭等の学校管理者以外の教員をご覧ください。

PTAの会員や役員であっても何の関心もないはずです。


もともとだれも今のPTAが健やかな子供の成長に寄与するなどと考えてはおらず、
しかも、教員は職務上、既に校長の管理下に置かれているのですから、
校長がPTAをつかって教員を管理する必要など全くないのです。

しかし、保護者に対しては校長として命令できませんから、PTAを使ってやんわりと脅かすのです。


本当に子供の教育に資する活動をしたいなら、
学校の力の及ばないところでやるべきでしょう。

そんなつもりは毛頭ないでしょう。(大笑)


5 ■学校の悪意3
連投すいません。

最近学校でこんなことがありました。

子供のクラスのあるお子さんのお父様が急逝されて、

そこで会長とクラスのPTA学級委員が

『クラスとしての弔意を示す為に弔電やら何かをするのに一人○百円集金することになりましたので子供に持たせてください。』

という手紙とメールがPTA会長の名前でクラスに配布されたんです。

弔意についてや金額に異論はないです。

ここでいかにもPTAらしいのが、

まだ私「了解」といっていないのに集金しようとしている点です。

失礼な上に
そもそも私は非会員ですから無視してたんですが、

教頭から電話がかかってきて払ってほしいと。

払って欲しいとお願いされれば払いますよ。別に。

これは学校が慶弔費を集金してるんですか?と聞いたら、

「いやー、そのー。実は学校としては一切関与してません。」

御家族はそっとしておいて欲しいと申し出があったそうですし、
学校はむしろ集金なんか止めて欲しかったんだと思います。


学校が集金してると誤解されたり、私が払わないことで保護者間のトラブルを避けたい一心だったのでしょう。

副校長からPTA役員の変わり身の速さには笑いました。

6 ■私の願い
まるおさん、私は対立関係に持っていくのでなく
(どうすれば、お互い歩み寄れるか)
(弱者やマイノリティーにも人権を守れる)
方向に持っていけないか、
模索するべきだと思うのです。

誰も先生や学校側と対立したいわけで無いと
思います。問題は理不尽な圧力です。

人が悪い訳でなくシステムの不具合だと
思いたい、そうでなければ崩壊した社会を
生み出しますよね。現状の日本社会では
物理的に、もう無理な部分は
見えているのですから。

現状の理不尽な部分を改善を計画するべきだし
誰かを人身御供にしたり、つるしあげたりしても
何も解決はされないです。結局、その場だけ
ごまかす事にしかなりません。

多くの子供の育ちの為にも
そうであって欲しいと願います。

しかし、どうしたものか・・・悩ましいですね。


7 ■学校の悪意4
学校にとって楽で都合の良い組織をみすみす手放すわけがありません。

一般的な浅い認識ではPTAはあったほうが見栄えもよく、
いいことずくめなのですから。

この組織は構造を知れば知るほど学校に対する不信感は増幅してゆくことでしょう。


入退会自由を周知しないPTA自体にばかり注目しがちですが、

それを黙認して活動を認め、放置して平然とした顔をしているのですから、

この問題の黒幕は間違いなく学校なのです。


その上に如何なる信頼関係が築けるのか不思議です。


学校の廊下に人権がどうとかのポスター が貼ってありましたが、

思わず、「ぷっ」と笑ってしまったのは私だけでしょうか?

個人の自由意思を尊重し、教育していかなければならない公立の小学校で、

見事に裏で人権を踏みにじっているのですから。


公立の学校ですから、表にできないことは裏で調整されるのでしょう。

今の給与水準ではこのへんが妥当でしょうか?

人権の維持も結局は金次第ということでしょう。


8 ■人権問題 1
まぼろしのPTA会長様
皆さん、会長さんの書かれている事は
身にしみて 多くの方がご存知だと思うのです。
だから、ホンネとタテマエを教えているのは
学校と言う事になりますね。
そう指導したいのでしょう。

家庭に病人や仕事で多忙な自分の両親を
見て、PTAに苦しむ親を見て育ってしまう
子供もいると思います。

学校や行政にどのような印象を持つでしょう。
廊下に(人権)のポスターがベタベタ
貼ってあるのに。

その逆で、低学年の子供で(親が教員と特別
な関係)だと勘違いしている子供もいました。

親もです。(自分達は地域のリーダー)だと
信じている。だから他人の子供も自分の言う事
を何でも聞くと思っているのです。

非行の実行はせず、弱い人間に万引きや
他人いじめを支持する。学校管理職辞退者が
続出する根幹を考えてみてください。
学校側は隠します。まさかあの子が!!
と言う子が実は計画犯で
実行犯に支持する事は往々にあります。


9 ■人権問題 2
テレビのニュース見てるだけで
理解できます。裸の王様状態なのです。

その結果、それを知る周囲は巻き込まれないように慎重に無関心を装うしか無いですから。

多くの人間が、もう事実を知っていて問題が
深刻化するまで放置する。

最悪なのは、深刻化してもなお、
隠そうとする事でしょう。お陰で多くの人間が
その事実に気が付いてしまえば、
教育は崩壊します。

一番、安全な方法を取りますよ。
子供を守るために。

(黄色の帽子発言)に対する問題にも
発言したご本人は気がつかれていないでしょう。

これでは、集団ストーカーまがいの行為でも
容認されます。(電気メーターの回る速度まで
確認して在宅か調べるそうです)
決して自分達は矢面に立ちません。
情報収集に必死になります。

それを教えているのがPTAと学校になってしまうとどうなるか・・・・日本全国
都市部はすでにそうなってる
のでしょうから。

こんな事で騒いでいる私達が一番(おめでたい)
と思われているかもしれませんよ。

ですから、この状況を生み出す状況に否定的
になってしまうのですけどね。


10 ■越後のちりめん問屋
ご長寿番組みたいなものかもしれないですね。

越後のちりめん問屋が誰なのか
日本人なら結構な人数の方がご存じですから。

そのうち都市伝説になるかもしれません
時代劇なのに、飛行機が映っていたとか
電柱が映っているとかの類です。

スケさんとカクさんが誰かまでは
知らないですけど。果たしてどうなるでしょうか。


11 ■学校の悪意5
PTAのない学校もあるが、


保護者はPTAなんてなくても全く困らないからそのような学校も存在しうる。

PTAがないと楽できないのが学校なのだ。


今にして思えば、
年度が変わって新しいクラスの最初の「保護者会」があると思う。


そこで何故か保護者会のはずが、
別組織の委員決めが延々と始まる。


関係ないはずでしょう?
保護者会なんだから?

担任の先生も必死ですよねぇ?

なんで?

確かに先生もPTAに入会はしてても一会員に過ぎないのに?

そうなんですね。
校長の命令なんです。


校長の公権力をつかって別の私的組織の委員決めをクラスの先生に強要するという構造でしょうか。

教員も楽なクラス運営の恩恵が獲られる思惑もあってか逆らいはしない。


この構造に気がついてから二年くらいたつが、
保護者会にすらでなくなった。

何にも困らない。


必要なことは直接担任や校長と話をすることで済んでますし、
真摯に対応してくれますね。


これが本来の学校と保護者の連携だと思うし十分だ。


12 ■校長の「最終授業」
今年3月に行われ、演題は「理科と教員生活を語る」でした。
http://teraoka082.exblog.jp/19316581/