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2012-09-01 22:24:06

和歌山・PTA会費をめぐる指針について朝日新聞にコメント

テーマ:PTA問題の実際的解決をめざして
<和歌山のPTA会費流用問題をめぐり朝日新聞にコメント>2012.07.01
の続報です。

8月30日、PTA会費の使い道に関する指針が和歌山県教委から出されました。
(当初の予定より一カ月遅れです。まとめるのに相当苦労されたようです。)

朝日新聞和歌山総局の平畑記者から今回も取材を受け、拙コメントが掲載されました。

学校経費 実態浮き彫り
◎PTA会費流用/県教委、改善へ新指針
(朝日新聞和歌山版・2012年08月31日)



ここ最近、拙ブログでつらつらと考えてきた「『保護者一人ひとりの自由意思』が担保されることが重要だ」との論点が紹介され、うれしく思っています。

いっぽう、和歌山県教委の見解は、予想通りというべきか、「『会員の総意』があれば受け取ってもいい」というものでした。
これは、先のエントリ(07.16,08.18)でご紹介した、岡山県教委、島根県教委、宮崎市教委等の指針と同様のものと言えます。

学校が保護者からの浄財を受け取る場合、考慮されるべきは、「保護者の総意」なるものなのか、「保護者一人ひとりの自由意思」なのか?
記事の中で、二つのキーワードが対峙したことになります。


PTAの強制加入の問題も、役職の強要の問題も、「保護者の総意」によって成り立っていると言えます。
私としては、「保護者の総意」によって"こと"を進めていくことは到底認め難いのですが、現時点での文科省・教委のスタンスは、「保護者の総意」推しです。
今後、「保護者の総意」なるものをターゲットに考察を進めていきたいと思っています。


話は少し変わりますが、読売の記事にとても注目されることが書かれていました。

*****
また、(県教委幹部は)校長名で支払いを求めるなど、半ば強制的に行われてきた会費の徴収方法は、「今後学校に指導していく」と述べた。
読売新聞・PTA会費流用、「保護者の意向だ」と教育長(2012.08.31)
*****

教委が、PTA会費の強制的な徴収に関して「学校に指導していく」としたのは、たぶん「日本初」であり、画期的なことだと思います。
「保護者一人ひとりの自由意思」が担保される方向への動きとして、注目されます。
※記者会見で会費の強制的徴収の問題に関して質問をしてくれた朝日の平畑記者に感謝です。





1 ■すっきりしたコントラスト
朝日と読売の記事を読みました。
PTA会員の総意(≒「保護者の総意」)と保護者個々の判断(≒「保護者一人ひとりの自由意思」)とが対照比較されたことに私も注目します。
この対比は理知的なコントラストです。
英語の「コントラスト」に優劣を際立たせるニュアンスがあることも考えると、限りなく仮想でしかないかもしれない「総意」なるものの劣悪さ、欺瞞ぶりが了解できて、気分がすっきりします。


2 ■透明性とコミュニケーション
まるおさん、ご無沙汰しております。
和歌山の会費をめぐる指針、一歩前進ですね。
保護者の「総意」とは胡散臭い概念だと、私も思います。保護者を無知・無関心なまま放っておいて、運営側や学校側の思い通りに誘導して物事を決める危険性をはらみますから…。

「保護者一人ひとりの自由意思」を担保し、組織の意思決定をしていくためには、
 ・情報公開
 ・説明責任
の精神を持ち、PTA等の会計や、寄付金の使用目的を明確にすることがまず大切だと思います。同時に、やはり、保護者の意思を汲む仕組みが大切ではないでしょうか。

また同時に、この動きは公立高校PTAですから、義務教育ではないですよね?つまり「義務教育国庫負担法」の適用外になると考えられます。しかし、地方自治体の財政問題、なにを優先して予算執行していくか、という問題が背後にあっての高校運営だと思います。このあたりの説明も、わかりやすく保護者になされると、私だったらうれしいです。

こう考えてくると、この和歌山県教委の英断は、上記法の精神にのっとるものと思われます。
「高校無償化」の政策ってまだ生きているんですっけ?日本は教育にお金がかかりすぎますから、何とかしてほしいのですが。
教育こそ、人が人らしく生きていくために、必要なものだと思っています。そして、それは、長い目で見て、日本の力を上げるものだとも信じているのですが…

3 ■「総意」だとどうやって確認するのか?(まるお)
>姫路さん、猫紫紺さん
「総意」なるものへの疑問に対して共感をお示しくださり、ありがとうございます。

>保護者の「総意」とは胡散臭い概念だと、私も思います。保護者を無知・無関心なまま放っておいて、運営側や学校側の思い通りに誘導して物事を決める危険性をはらみますから…。(猫紫紺さん)

姫路さんの言うところの「欺瞞ぶり」に対する分かりやすい説明ですね!

ただ、以下、猫紫紺さんのコメントにややからませていただきますね―。
寄付というものは、本来的に一人ひとりの自発的意思によりなされるものであって、たとえ執行部が情報公開と説明責任を果たしたとしても、そもそも「組織による意思決定」によって寄付を行うのは(特別な場合を除き)問題ではと私は考えているのですが、どんなものしょうか?
(繰り返しになりますが、その点で以前のエントリでご紹介した国立大学附属学校のやり方はすぐれた方式だと思っています。)

「総意」というのは、辞典を引きますと、「全員の一致した考えや意見」とあります。情報公開と説明責任を果たしたとしても、最後は総会等で「議決」されることになると思うのですが、「議決」されたことに会員は従う必要はあっても、「それはお前の意思である」とされるいわれはないと思うのですよね。

つまり、
総会で「議決」されたこと=PTA会員の「総意」
と言っていいのか? という問題です。
(議決されたことは、その「会の意思」とはみなせるでしょうが。)

「支援を受ける場合は、(…)提案された支援が予算額を含め会員の総意であることを確認しなくてはならない」(8/30記者発表配布資料より)と和歌山ではなり、今後この指針は全国に広がる可能性がありますが、その寄付の申し出が保護者の「総意」であることをいったいどのようにして学校側が確認するのか、ぜひ確認してみたいと思っています。

御コメントにかこつけて、前々からもやもやと考えていたことを吐き出させていただきました。

4 ■Re:「総意」だとどうやって確認するのか?(まるお)
>まるおさん

「総意」=「総会の意思」という変にスーパーな解釈もありそうです(笑)。

なお、 「総意」については憲法1条を一つの思考実験とできるかもしれません
質問文に「学生にこの点を質問されるたび、総意を確認したことがない、と説明するしかありません」と書かれたサイトで、いくつかの回答文が読めます。
http://okwave.jp/qa/q5976421.html


5 ■いまさらですが
>たとえ・・・そもそも「組織による意思決定」によって寄付を行うのは(特別な場合を除き)問題ではと・・・
これは寄付行為そのものについてと理解すればいいのか、それともPTAに限定なのか、さらに地方財政法27条の3及び第27条の4に限定なのか、まるおさんの言われる「特別な場合」とはどんな場合なのか。また、組織とは権利能力なき社団だけなのか、株式会社や合資会社、社団や財団、NPO法人なども同様なのか。
私も寄付分を会費に上乗せをして徴収することはとても賛同できるものではないし、基本は個人が自分の意思でするものだと思っていますが、組織であっても収益金などの特別会計や予算執行後の不用額(次年度繰越金になる場合が多いと思いますが)を寄付に ということはありなのかなと思います。
じゃあその意思決定は?「総意」、辞書には確かに「全員の一致した意見」とありますが、皆さんがよく引用されるウィキペディアには「組織または団体の比較多数または一定機関の意思により総意と表現する場合もある」ともあります。総意を英語にすると「consensus」。これには「合意」「大多数の意見」と言う和訳もありました。「大多数」人によっては100%、99%、90%とこれに明確な基準はない。やっぱり関係者で十分話し合うしかないように思います。若しくは細かに規定を設けるかですが。

PTAから少し外れますが、私は若い頃から「正しいものは正しい」と行動してきたタイプです。しかし、上手く相手に伝えられないことが多かったのも事実です。そんな時、山田ズーニーさんの著作「あなたの話はなぜ通じないのか」筑摩書房 を読み、その言葉が自分の胸に突き刺さり、とても納得させられました。自分が言われる側の時、やはりすんなりとは受け入れていない。それなのに自分は・・・その感情を上手く表現できずにいましたが、わかりやすく表現されている方のブログを見つけましたのでお借りします。
http://www.beltempo.jp/column.seiron.html
http://www.ayame-aw.jp/article/14288838.html
改めて私は会社でも、普段の生活、友だちや家庭、自分の子どもたちや多く人に対して言葉で傷つけてきたんだと思います。PTA活動でもきっと傷つけてしまった人、いるでしょうね。


6 ■いまさらですが2
続きです。
コメントされている皆さんはPTAが任意加入であることを十分に承知されていると感じ取れ、そして総論として多くのPTAが抱えている課題・問題の多くも十分に承知されていると思います。
ただ、その課題・問題を「べき論」ではなく具体的にどう解消していくか、いけるのか、どう進めていくのか、進めてきたのかということになると学校・PTAの歴史や地域性などの影響もあるでしょうが、本当に様々だと思います。また全てのPTAが同じ問題を抱えている訳ではなく、よく紹介されているNEEDとWANTなど共通することもあるでしょうが、やはり各PTAそれぞれだと皆さんのコメントを拝見して、また自分の経験上から感じています。 正直、保護者の方のお一人おひとりの心の内は残念ながら私には分かりません。
そういう意味から、一人ひとりの意思の担保というのもどう確認するのかとても難しいと思いますし同じ保護者に対して、「無知」とか「無関心」とか表現されると哀しい気持ちになります。
また、問題解決に向けて自分のところではスムーズにいくことも他では困難極まりなかったり、その逆もしかり、あるいは一歩も進めないことも。しかしできないと思ったら本当にできない、誰かのせいにしても解決には向かわないということを経験して学びました。一歩一歩だと思います。たびたび人の言葉をお借りして申し訳ないのですが、私自身こんな感じでした。 http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-426.html
 「言葉は、関係性の中で、相手に届く」
具体的な解決策ではありませんが、とても大切な事だと思っています。
私の最初のコメント「どっちもどっちという印象」はこんな気持ちからでした。大変失礼しました。

7 ■Re:いまさらですが2
>正直さん
>私の最初のコメント「どっちもどっちという印象」はこんな気持ちからでした。大変失礼しました。

「私の最初のコメント」というのは、どこにありますか?

8 ■Re:いまさらですが2
>正直さん

 > 「どっちもどっちという印象」
のコメントはhttp://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11291960672.html#c11964110077でしょうか。


9 ■Re:いまさらですが2
>正直さん
人と人とは異なるし、多種多様な背景も環境もある。
正論など、「その人にとっての正論」にすぎない。
だから、認め合おう。押しつけ、侵害するのはやめ、敵意を捨て、皆が共存できる社会の実現に向けて考えよう。
というのは、この「まるおの雑記帳」においてずっと一貫して書かれてきたことではないかと思います。

ここにはたくさんの方の膨大なコメントも寄せられており、それぞれ言っていることは異なっています。
話し合う、と一口で言ってもなかなかに困難であることは、見ての通りです。

各テーマについて参加者はそれぞれ自分なりに真剣に考えて発言していると私は感じています。まるおさんに近い考え方の人も、そうでない人も。一部茶化しもありますが。
印象によって「みなさんのコメントを読んでどっちもどっち」というのが総括では、やはり乱暴過ぎないかなと思います。

正直さんの「印象」「感想」はいくつも書かれていますが、御自身が何をどう批判されているのか具体的なところ、何をすべきだと考えていて現実的なアクションとして何を実践していらっしゃるのかなどが、ちょっと理解しづらいです。


10 ■Re:いまさらですが2
>正直さん

正直さんのコメントを読み返してみて思ったのが、その組織の人間同士、敵意を捨てて話し合い、理解しあおうって山田ズーニーさんと老子にヒントを得たタオに生きるのブログを用いて、剣を納めよって言いたいんですよね。
おっしゃる気持ちも分かるんですよね。
理解が安定した組織の変革の在り方とは思います。

ただ、正直さん、忘れてる部分があると思います。
人としての倫理は人権が基本でそれは忘れてはいけないはずです。
正義や不義で決めることではなく、普遍でこれはあるはずですよね。

ただ、ポイズンママにしろ、カルト(PTAも組織ですからカルト化する場合もあり)にしろ、その中で苦しむ人達には私は、理解し合え、なんて言えないです。
人間、集団なり、個人なり、凍結された思想や思考なんて、他人が働きかけたからとて、簡単には変わらないですから。
時には理解し合うのが困難であるから、法治国家としての法令尊守があるわけです。
悲しいかな「コンセンサス」と言う名の鉄の盾で「行き過ぎた権利主義」と言われますけどね。
例えば、中国国内で虐げられる、チベット人ウイグル人。
助けもしないで「理解し合え」なんて、私は言えないです。
虐待受けた子供に「理解し合え」なんてのも言えないです。
離れる自己決定権を与えるべきと外から訴えても。

どっちもどっちで理解し合って、円く当事者同士で納めよで片付くなら、世界中の人権侵害はとっくに無くなってるとは思います。
タオに生きられるとは思います。
無知や無関心でいる限り。


11 ■Re:Re:いまさらですが2
「どっちもどっち」という印象
姫路さんが示してくださったように7月1日の記事についての59のコメントでした。 
>認め合おう。押しつけ、侵害するのはやめ、敵意を捨て、皆が共存できる社会の実現に向けて考えよう。
そのとおりだと思います。59には「ここ最近のコメントを拝見して感じたことですが、皆さんは本当に多様な価値観を認めておられますか。」と書いたつもりでしたが書いてありませんね、言葉足らずでした。
正論 PTAについていえば現段階ではどんな加入方法を取っていたとしても「入会をするもしないも個人の意思(自由)」、それは全てのPTAに共通していること。しかし実態が伴っていない、上手く伝わらない、中には非加入自体を認めないというのは全てのPTAではないわけで、しっかりと伝えているPTAもあるし、自動入会でも非加入、退会を選択されて問題がないところもある。その差は何か?伝えないのはなぜか?認められない理由は?どうすれば実態が伴うようになるのか?をそれぞれの経験・知識から、推察、提案、実践されていると思いますが、総じて「PTAは」という一括りで言われていることと所属するPTAでの事象、総論と各論が入り混じってしまっての意見交換(批判(私にはそう受け取れました))になっていて、「どっちもどっち」という印象を持ちました。
 >何をどう批判されているのか
剣を納める、円く納めるということではなく、色々な意見、考えがあるからこそよく話し合うこと(各々が意見に耳を傾けて)で、軌道修正も可能で、よりよい方向へ進んでいけると思い取り組んでいました。が、現実多様な価値観を認めきれず、上手く伝えられないことにカチンとなり、言い訳がましく自分を正当化していた私自身を自戒の意味を込めて批判しています。皆さんは属するPTAで実践されている時、もしかしたら私がそうであったように、正論をかざしてしまってはいませんか? 自分で勝手に対立軸を作ったりしていませんか?だとするとなかなかうまく伝わりません。そんなことがコメントを読ませてもらって気になりました。
 ルール・規約は最低限で倫理、道徳が大切というのは仰る通りだと思います。それが通じないから話しても無駄・・・私は多くの方は分かっていると思っています。だから話し合うしかない。願望でしょうか。


12 ■Re:Re:いまさらですが2(続きます)
>何をすべきだと考えていて現実的なアクションとして何を実践していらっしゃるのか
「すべき」と考えないようにしていました。何を実践した?何もしていないです。役員をするまでPTAや学校のことは妻にお任せで、文書もあまり見ていませんでしたが入会届はあるものの、活動はご多分にもれず形骸化しているという印象でした。役員になり初めて当時の校長とPTAが、PTAと地域の関係がよくないことを知りました。地域からみればPTA=保護者ですから、保護者全体の印象が悪かったです。
 最初は各活動(外部・地域行事も含む)がなぜ始まったか把握に専念しました。理由はそれなりに納得のいくものでしたが、今それが必要とされているか疑問で、一つずつ活動ごとの簡単なアンケートから始めて、会長になってから全体のアンケートを行いました。90%近い回答率で、記述も含め通学路の安全対策が皆さんの最重要事項でした。意外だったのが広報と移動研修への期待、廃止もありと予想していたのですが。広報は家族で学校のことが話し合える、移動研修は公前と出かけられるなど本来の趣旨とは違いますが、サラリーマン家庭には思いが至らない回答が多かったです。要望としては懇談会の結果などの情報提供が多かったです。確かにほとんどされてこなかった、結果役員と一般の会員さんとの温度差が広がり、PTA活動=役員・委員活動となった?総会さえも役員・委員がでればいいと思っていたという回答が多く寄せられましたことが物語っているように。事実、総会の参加率は当時とても低かったです。所属のPTAでは毎年地区の懇談会があり、親子学級の日に行うため参加率が案外高いので、その場を活用して多くの意見を引き出せるよう役員一同で努力しました。学級懇談会の2回のうち1回はPTA主催なので同じように取り組んでいます。継続は力なりでずいぶん意見がでるようになり、今の課題もこの場を利用して話し合っています。続きます

13 ■Re:Re:いまさらですが2(続きの続き)
もう一つ意外だったのが入会届をなくしたらという意見、役員・委員決めをルール化してほしい(しかし本音はできれば避けて通りたい)、活動もルール化して指示してほしいが予想をはるかに超えて多かったことでした。もし、規約改正を提案され、総会に諮れば可決される可能性大だったと思います。アンケートはとても有意義で貴重ですが、同時に両刃の剣だとも感じました。地域のお祭りの催しも子どもたちは楽しみにしているので続けてほしいが、負担なら・・・と正直な、とても悩ましいご意見が寄せられました。
やりたいこととやってほしいこと、できることは必ずしも一致しない、本当に悩ましい。全てのご要望に応えられればいいのですが、現実はそうはもいかず、当時の役員で丁寧に集計結果にコメントを添え配布し、できることから取り組みました。また、市の人口統計や児童数の変動から将来推計をし、中期的な展望を考えました。市内でも高齢化が進んでいる地域で児童減少に歯止めがかかることは困難なので、先を見据える必要があるからです。
今はできていることも今後立ち行かなくなる、その時のために今から考えていこう。特に多くの方が必要と考えていた一つの委員会と交通当番のありかたについては現在も継続して検討中で、毎年、その時に合った方法を選択しながら今後を探っています。
 これらの結果から、方針を「子どもたちのために」から「子どもたちとともに」とし、「まずは家庭の中から始めよう」を基本に置きました。あいさつやしつけ、遊び、学校のことなどを家族で話し合い実践することが一番のPTA活動と位置付けました。組織では児童会の目標「一人はみんなのために みんなは一人のために」とPTAの目標を一緒にして、児童会や図書委員、環境委員などとジョイントして取り組める活動を中心に据えました。多少の効果があったのか総会の実出席率は70%を超えるようになりました。
 地域には保護者と同じように情報提供し、現状を理解してもらうよう何度も説明し、PTAの催しにも参加の案内をしています。ゆっくりとしたスピードですが少しずつ理解が浸透しているかなと感じています。こんな感じなので、目に見えて何かを実践してきたという感覚は特にありません。


14 ■Re:Re:Re:いまさらですが2
>正直さん
詳しくありがとうございました。

>総じて「PTAは」という一括りで言われていることと所属するPTAでの事象、総論と各論が入り混じってしまっての意見交換(批判(私にはそう受け取れました))になっていて

確かに、それは否めないかもしれません。
PTA論争?でいつも繰り返されているように見えるのが、
「PTA問題の指摘」⇔「全部のPTAがそうではないという反論」
の小競り合いです。
例えば私たちがコメントをつけているこの記事のテーマの1つである「PTA会費の強制徴収問題」について、「任意性をきちんと保った上で全員加入しているPTAもある。どこが問題なのか。」という反論があるとすれば、それはあまり意味がないと思います。
なぜなら、記事はそもそも「問題のあるPTA」について語られているのであり、それがごく一部のPTAではなく全国的に普遍的な問題といっていいと現時点でまるおさんが考えているからこそ、取り上げられているのだと思うからです。
このとき主語になっているのは「全国に多数存在するであろう問題のあるPTA」ですが、ここでムカッときてる人は「自分達のPTAはうまく回っている。PTAなくなれとかPTA攻撃とかどういうつもり?悪いPTAはその人たちがおかしいだけで、PTAを貶すのはおかしい!」という反論になってしまいます。
「PTA」という言葉で表しているものがすでにすれ違っているのであり、かみ合わないわけです。

もう少し話したいことがありますが、時間制限があるのでまた後ほどにします。いったん失礼します。


15 ■人権についての質問
正直さんの言う事はもっともであります。
が、私の質問にある、人権についてはスルーですよね。
正義、不義に罹るから、対立構造になると言う論理を何度も繰り返しますが、人権は多数決やアンケートで決めるべきものではないはずです。
組織運営に関して言えば、方向性と在り方としておっしゃる通りともいますけど。

>正論をかざしてしまってはいませんか?
自分で勝手に対立軸を作ったりしていませんか?
だとするとなかなかうまく伝わりません。

まず、組織に入るも入らないも人それぞれ。
自主、自治の概念の確立があってから、この道義は使うべきと思うんですけど。
経緯を読ませて頂きました、正直さんの学校では、クジが一切ないんでしょうか。
自治会の嫁業務もないんでしょうか。
押し付けられて、人知れず傷つくお母さんが一人もいないのでしょうか。
総意からくる寄付の在り方の意見の時も思ったのですが、結局、数の倫理で「理解し合おう」「認め合おう」に終始しますよね。

一人はみんなのために、みんなは一人のために

美しい言葉なんですけど、現実はどうですか。
「一人は組織のために、みんなは組織維持のために」
じゃないですか。

余談で。
私はこの言葉(一人は~)を見て、経緯を読ませて頂いて寒気が走ったんですよね。
あぁ、なるほど。
なるほどは、分かるひとには分かりますがら、スルーしてくださいな。


16 ■Re:Re:Re:Re:いまさらですが2
>ぶきゃこさん

要因は言われていることだけではないと思いますが、仰ってみえることはよくわかります。
表現はよくありませんが読み手の粗相、書き手の粗相も多分にあるのではないかと思います。時には売り言葉に買い言葉のようなケースも。
誰しもがある程度の確信をもって語れるのは経験したことだけで、あとは知識として入った情報と推測なので見ている方向の違いで解釈も違ってくることはいた仕方ないのかもしれません。
ただ「現段階ではどんな加入方法を取っていたとしても「入会をするもしないも個人の意思(自由)」」
これはどの方向から見ても変わることはないですけど。
義務化したいというご意見の方もみえますが、「義務化したい」ということは「義務」ではないことが分かっているということですし、まるおさんのブログに限らずPTAの問題を取り上げているサイトを覗くということは、何かしら現状に疑問を持っているということだと思います。
皆さんが仰っている(目指す)あるべき姿ではないにしろ、現状を変えようと努力された、努力されている、これからしようと考えている方なのだと思います。関係している方が不幸にならないようにとの思いは同じだと思います。
時代が流れているように、所属する人が変わっていくように「これで完結」はなく、これからも絶えず変わっていくものだと思っています。


17 ■Re:人権についての質問
>ある保護者さん 
正義や不義で決めることではなく、普遍でこれはあるはずですよね。
質問していただいていたのですか、気づきませんでした。失礼しました。
>人権は多数決やアンケートで決めるべきものではないはずです。・・・まず、組織に入るも入らないも人それぞれ。
仰る通りだと思います。所属のPTAでは入会届は必要ないんじゃないか(面倒くさい)という声も以前からありましたので、「PTAは任意加入だから入会届を提出いただいていますが、どうですか?」と聞いてみたのです。任意加入であること・非入会の方があることも事前に説明していますので理解はしていただいていると思います。
ただ、保守的な地域でもあるので、現在会員の方にも、周りの様子を見、同調圧力のようなものを感じてという方もみえるのかもしれません。個々の方の心中は残念ながら分かりません。
>正直さんの学校では、クジが一切ないんでしょうか。自治会の嫁業務もないんでしょうか。押し付けられて人知れず傷つくお母さんが一人もいないのでしょうか。
過去にはジャンケンがあったと聞きますが、少なくとも自分が役員の4年とそれ以降はないです。役員が各クラスに入って・ジャンケン、特に欠席裁判は止めてくださいとお願いしています。(学校に来ることが難しいから欠席されるので)
自治会からPTAへの、特に女性陣への要請はありません。会長は毎月の会議に出席しますが、お願い事が多いのでやむを得ない部分もあります。自治会関係者も男性ばかりなのでPTAも男性陣で対応しています。
寄付に関しては、前回コメントした際にまるおさんも組織でもあり得るというご意見でしたから、組織の意思決定の方法に因ることは間違っていないのではないかと思いました。「理解し合おう」「認め合おう」ではなくて、数の論理で決するかどうかも含めとことん話し合おうです。
>「一人は組織のために、みんなは組織維持のために」じゃないですか。
中期的な展望を考えた際にPTA廃止も視野にありましたからそれはないです。活動の基本を家庭(個人)に置いて、個人ではできない(難しい)けど、してほしい(できる)ことはできる範囲でやりましょうが目標です。予想より児童減少のスピードが速いので、これからは活動も形態も変わっていくのではないかと思います。


18 ■Re:Re:Re:いまさらですが2(続きの続き)
>正直さん
コメントありがとうございました。
前回の私のコメントが途中になっていたので、これからさかのぼって「続き」という形になります。
正直さんのところの活動内容に感銘を受けました。そこまで真剣に取り組んでいれば、必ず会員の方に伝わっているものと思います。また、委員の選出の場において欠席裁判をしないなどの「PTAとしてのポリシー」をきちんと伝える努力をなさっているのも素晴らしいです。「多くの意見を引き出せるよう役員一同で努力」というのも、PTAという団体を愛し、よりよくしていこうという姿勢の表れと思います。

>アンケートはとても有意義で貴重ですが、同時に両刃の剣だとも感じました

おっしゃることよくわかります。単なる「多数決任せ」で自然に良い活動になるわけではないことは私も体感しています。独裁になってもいけませんが。
だからこそ、しっかりした知識と良心と規範意識を持つリーダーが本来は必要と思います。
しかし現実にはそのようなリーダーが出るかどうかは運任せですから、適正なリーダーシップがなくなってグダグダなPTAになってしまった場合、退会という手段は保証されていることが必要ですし、そこの最低ラインは「話し合い」で決めるべきものではなく、PTA活動を推奨しているもっと上のほうでしっかり通達徹底すべきものだと私は考えています。


19 ■つづき
よりよいPTA活動と入退会自由の保証は、表裏一体のもので、強制的に囲っておいて「話し合いましょう話し合えばきっと良くなる」ということはあってはいけないと思います。
正直さんがまさに「アンケート結果通りにすることだけが適正なわけではない」と感じておられるように、数の論理の中に放り込まれて「このように決まりました」と言われても喜んで共に活動できない人もいるのですから。

正直さんのところのPTAが類を見ない良い取り組みをされていて保護者に関心を持たれていることは、「総会の実出席率が70%を超える」という事実で示されているものと思います。万人に支持される活動などありません。なにもかも発展途上でOKだし、会の性質上当然そうならなければならないと思います。結果を追求するのではなく、より多くの会員が取り組みテーブルにつき話し合おうという空気が保たれる時、団体活動としてのパワーを発揮することができ、はじめて「まとまる意義」が出てくるものと思います。


20 ■補足
私の申し上げる「退会という手段の保証」は、物理的にできるかどうかではなく(そういう意味では全国のPTAで退会は保証されています)、「退会がモラル違反でも義務の放棄でもなく、全員が持っている人権なのだ」という意識が共有される状態のことをいいます。
現在のように、「退会するのはそちらの自由。それに対して悪感情を持つのもこちらの自由」というようなことを言ってはばからないような人たちがたくさんいる状況では、一般保護者には退会が保証されていないのと同じです。

そういう状態を知りながら放置している(全員参加にするため推奨している可能性もある?)国・自治体・学校の姿勢は、いじめ報告を極小にするためにいじめをなかったことにする姿勢と同じであり、その責任はこれからもほそぼそと指摘していきたいと私は思っています。


21 ■Re:Re:Re:いまさらですが2
>正直さん

 > 「どっちもどっち」という印象
 > 姫路さんが示してくださったように7月1日の記事についての59のコメントでした。

はい、了解です。
URLが合っていて安堵しました。


22 ■Re:補足
>ぶきゃこさん
入会届があることの他抱える課題は多くのPTAとそれほど変わりません。役員・委員の未経験の方や非加入の方に誹謗中傷的な行為はないと思いますが、快く思っていない方がいらっしゃるのは事実です。欠席裁判をしないことに批判的な方もいらっしゃいます。子どもたちにPTAが影響していることもないと思いますが、元々保護者同士の関係が子どもたちの関係にも大きな影響を及ぼしているのは事実なので哀しいことだなと感じています。地域との関係もしかりで、まだまだPTA=保護者ですし、「もっともっと」という声も聞かれます。
また総会は、授業参観と学校主催の学級懇談会の日に行いますし、今はPTA行事の多くを学校公開日にぶつけて実施しているため、それが出席率にも多分に影響しているのだと思いますので、関心が高いかと言われると???です。仕事の休みを少しでも減らしたいという意見が多かったことを受けてですが、時間休の方が取りやすいという方もいらっしゃるので賛否両論あり、委員さんは頭を悩ませていると思います。日程に関しては全ての人が都合の良い日は存在しませんが、なかなか割り切れないものです。
 「指示してくれれば協力するよ」という声も非常に多かったです。「人に言われてやるのは気分悪いでしょ。やるもやらないも自分たちで考えた方が気持ちがいいよ」とお願いしましたが、受け手側にしてみればそれがストレスとなる可能性もあるわけで、とりあえず行事の決め打ちはせず、事業計画も概要だけ、予算は枠配分にして、総会に諮る形にしました。
 教職員も最初の頃は校長・教頭ぐらいでしたが、徐々に増えて、土日の行事でも都合がつけば参加されるようになりました。来ない人は来ませんが。用務員さんや事務員さんも来てくれるし、特に用務員さんは臨職なのに皆勤に近いぐらいで、それを見ると学校行事やちょっとした雑用など、こちらもつい手を出したくなって一緒に作業するということが私は多かったです。
 私の街は教委やP連からの参加要請はあまりないので、逆に役員会で情報も止まり一般会員は何も知らない状態でした。今は講演会や研修も会員の皆さんにご案内をして、いける・いきたい人が参加するという形にしました。
 きっと現在の形に至るまでP連や教委、学校との関係(寄付は原則受けない)なども紆余曲折あったんだろうと思います。

23 ■Re:Re:補足
>正直さん
実際にはまだまだ課題があるというのは、そうだろうなと理解できます。
「最低限、簡易な形でもいいから、入会するかどうかの意思を確認すべきだ。そうすれば大幅に改革しなくても、少しずつ変わらざるを得ない部分が出てくる」と私は以前からずっと感じていて、正直さんのところのPTAの姿はそのイメージにとても近いです。
そういう意味では、(首長が交代すればすぐにでも強制型PTAに戻る危うさを内包していることも含めて)とてもリアリティを感じるお話ですね。


24 ■Re:Re:Re:補足
>ぶきゃこさん
>首長が交代すれば・・・
PTAに限らず任意団体(人格なき社団)の「長」は会議の招集と役員の委嘱ができるぐらいで、他に権限はないはずなんですよね。だから「長」が交代しても方向性が180度変わることはないと個人的には思っています。しかし実態は、良きも悪しきも「長」によって雰囲気も方向性も変わってしまいます。なぜでしょう?一つには「長」にあたかも権限があるように思わせ、実態として権限を付与してしまっていること、そしてそうしているのは他でもない会員の皆さんではないかと思ってしまうのです。
変わることがいけないわけではなく、変わることはいいことなんですが、「長」の意見が「会」の意見、「長」の意見が「絶対」であってはいけないと思う訳で・・・政治の世界や会社などでは今、強いリーダーが求められているように感じますが、さてPTAのような人格なき社団に強いリーダーが必要か?というよりPTA会長はリーダーか?と考えた時、私は強いリーダーである必要はない。PTA会長はコーディネーターだと思って、自分は行動してきたつもりですが、周囲からは「強キャラ」という評価をされていたようです。自分が考えていた自分と周囲が判断する実態が全然一致していなかったよう?です。所属のPTAは、今の様子を見ている限りそちらに舵を切るということまではなさそうです。

25 ■正直さんへ(まるお)
>正直さん(コメント5)

>たとえ・・・そもそも「組織による意思決定」によって寄付を行うのは(特別な場合を除き)問題ではと・・・
>まるおさんの言われる「特別な場合」とはどんな場合なのか。

私が「PTAからの寄付」でこれなら”あり”かなと思っているのは(ぶきゃこさんが明快にまとめてくださった)以下の二つの場合です。

・会費とは別に、寄付金を任意の額で会員から集める
・規約上「会費の何%までで総会決議によった一律の額を総会決議によった費目において寄付を行う場合もある」などのような条文を明記し、入会時に説明して、同意を得た者だけを入会させる
(拙エントリ<文科省「PTA会費に関する通知」を読む 考察篇>中のコメント3より)
http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11331281625.html#cbox

前者のやり方は、先のエントリでも紹介している国立大学附属学校と同類の方式ですね。

26 ■Re:正直さんへ(まるお)
>まるおさん

ありがとうございます。
PTAに限定されたお答えでしたが、前者の方法は義援金や募金などで行われている方法と同じですね。PTAからというよりPTAが主となって募ったという認識です。学校にではありませんが、3.11の時にはその方法で集めていました。「特別」ではなくて一般的な方法のように思います。

後者についてはそこまで規定しているところはないのでは?と私は思いますので、あれば「特別」ですね。


27 ■Re:Re:正直さんへ(まるお)
>正直さん
>「特別」ではなくて一般的な方法のように思います。

それは何を基準にするかで変わってきます。
私は、「PTAから学校への寄付」を念頭に置き、「特別」という言葉を使いました。

どうぞ文脈をご理解の上、レスをお願いします。

28 ■Re:Re:Re:正直さんへ(まるお)
>まるおさん

大変失礼しました。
PTAから学校への寄付が一貫した記事の内容ですものね。

私はまるおさんの「寄付というものは、本来的に一人ひとりの自発的意思によりなされるものであって」「そもそも「組織による意思決定」によって寄付を行うのは(特別な場合を除き)問題ではと?
を読ませていただき
「寄付」行為そのものについて
「組織」はPTAに限ってではなく「組織・団体」を指すのでは?と勝手に思い、5のコメントとなり、今回のコメントをしました。

申し訳ございませんでした。