<254> #1

2014-05-23 22:02:27

小平の風に投稿しました。

テーマ:エビデンスとしての日本語
日本語に関する記事を二本、勤め先の学科のブログ「小平の風」に投稿しましたので、遅ればせながら、紹介させていただきます。

一本は、「いまどきの日本語  ― 「ら抜き」と「さ入れ」 ―」で、何かと批判されることの多い「いまどきの日本語」を、日本語の歴史を振り返ることで「擁護」してみました。
※その論旨は、金田一春彦氏などがすでに述べていることで、私のオリジナルではありません。

もう一本は、「『敬語行動』をめぐる日韓比較 …浮かび上がる『相手(二人称)』と『集団』の重さ」です。
この記事は、近刊予定の『世間の学 VOL.3』(日本世間学会編)に掲載される、拙論文「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」の一部を利用してまとめました。
論文が刊行されましたら、またこのブログで紹介したいと思っています。


<「小平の風」の過去記事>
・神戸・京都・奈良研修 ~伝統文化と欧米の文化~

・This is a pen. を日本語にできるか?

・「好きです」に面くらったフランス人の日本文化論 ―主体=「創造主」不在の文化―

・日本語とPTA ―「主体性と公共性」の希薄さをめぐって―

・日本世間学会

・「ネット」の力 ― 仙台市教育課題研究発表会に参加して

・世間学と日本語

・二つの『私』 ― 日本人に『私』はあるのか? ないのか?





1 ■二つを拝読しました
≪失礼な敬語≫(2013)(の特に第三章『 「れ足す」「さ入れ」「を入れ」』)を思い出しながら拝読しました。
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334037529
「変化」の持つ合理性は納得できます。