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2009-02-11 23:47:54

日本社会におけるパラダイム転換 (自治会裁判とPTA(1)) 

テーマ:PTA
子どもの通う中学のPTA改革に関わったのがもう4,5年ほど前になる。
その中学はご多聞に漏れず事実上の強制加入で、会費も学校が校長名で教材費といっしょくたに徴収していた。それが、任意加入であることが示された上で入会の意思確認が取られるようになり、PTA会費は教材費とは切り離され、徴収に学校は関わらないようになった。
かなり強い抵抗もあったのだが、声をあげることができ、最終的には受け入れられたのは、ちょうどその頃から、「個人の尊重」(確かその中学校の指導目標だった!)とか、「コンプライアンス(法令遵守)」とか、「インフォームドコンセント」とかの概念が社会に浸透し始めたこととも関係していると思っている。
PTA内部の話し合いで、それらの概念を「臆面もなく」持ち出し強調したものだった。幸い、うなづいてくれる人も結構いた。

その頃から(21世紀以降?)、「まずはじめに組織ありき」の旧来型の価値観から、個人が尊重される価値観へと変わり始めたような気がする。(小泉劇場はその流れの結果でもあり原因でもあると、私は思っている。)おもしろいことに、「PTA問題仲間達」が問題意識を持ち、声をあげ始めたのもほぼ同じような時期である気がする。
 ※もっとも最近はこの価値観の転換への反動の動きも認められるようだが、それはまた別の機会に。  

日本社会における「組織重視」から「個人重視」への価値観の転換を示すものとして、自治会に関わる二つの裁判を取り上げたい。一つは、埼玉県の自治会での「退会の自由」をめぐる裁判。もう一つは、滋賀の自治会における「寄付金の上乗せ徴収の違法性の有無」をめぐる裁判。

この二つの裁判は、いずれも下級審においては「組織側」が勝訴しているのに対して、上級審では「個人の側」が逆転勝訴しているのが興味深い。
埼玉の自治会裁判で最高裁において「退会の自由」が認められたのが2005年4月、滋賀の裁判において住民側の勝訴が確定したのが2008年4月。
私は、そこに日本社会における価値観の変動の芽生えを読み取ることができるのではないかと思っている。

次回、まずは「退会の自由」をめぐって争われた埼玉の裁判を取り上げる。
一審と二審では、「退会の自由」が認められていなかったのに驚くのは私だけではないだろう。が、それが、ほんの少し前までの日本の規範であったのかもしれない…。