<213> #7

2012-05-06 00:40:55

論文「日本語の構文的特徴から見えてくるもの ― 『主体・客体』と『自分・相手』 ―」

テーマ:日本語
「日本語の構文的特徴から見えてくるもの ― 『主体・客体』と『自分・相手』 ―」というタイトルの論文を勤め先の紀要に書きました。

こちら← で読めます。

アウトラインは次のようなものです。

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日本語の「文」の成り立ちを見てみると、主語と目的語が頻繁に省略されたり、自動詞構文や自発構文(「結婚することになりました」)が好まれたりと、英語などと比較して、「主語と目的語」、すなわち【主体と客体】の存在感が薄い。これは、日本語における省略的側面(凹的側面)ということができる。

いっぽう、日本語においては、敬語や人称詞、授受表現、終助詞、あいづち等の【自分と相手】との関係性を反映する表現が多々存在し、「文」成立の上で非常に重要な役割を果たしている。
これらの表現は英語などには存在しないか、たとえ存在したとしても日本語におけるよりずっと存在感が薄いものなので、これらの表現は、日本語における付加的側面(凸的側面)といえる。

日本語の「文」の成り立ち方から垣間見られるのは、事態を成り立たせる「主体」を析出し出来事を分析的・客観的にとらえようとする志向は弱く、いっぽうで「相手」との関係性には並々ならぬ関心を抱く日本人の心の傾向である。

こうして日本語の構文的特徴を押さえてみると、日本は典型的な「恥の文化」の国だとするルース・ベネディクトの指摘(『菊と刀』)が改めて真剣な反省の対象として浮かび上がってくる。

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※この論文の内容は、昨年の夏、小平市の手話を学ぶ方々にお話しした内容(於:小平市社会福祉会館)と大きく重なるものです。
拙エントリ:「小平手話サークル主催講演会と小平市手話通訳者養成講習会にて」




1 ■久々の日本語シリーズですね!
まるおさん、こんにちは。

久々の日本語シリーズですね!
しかも、ci.niiでのPDF公開とは、なんとも太っ腹でいらっしゃる。
今まで、上下のエントリに目を奪われており、ここに気づくのが遅れて申し訳ありません。

ともすれば曖昧になりがち、そして、論点をずらしがちになる、日本語の議論を、快刀乱麻を断つが如くきれいに切り分けておられる、まるおさんの手腕を、いつも感心しながらあちこちで拝見しております。

御論文も拝見しました。
これだけきれい/ロジカルに日本語の構造を解き明かしておられて、目から鱗の部分がいっぱいです。勉強になりました。

PTA活動や地域系、会社、学校などでも、
よく、人間関係や序列が話題になったりしますよね。
「敬語」の存在や、相手との関係性をこれだけ意識する言語ですもの、「失礼の無いように」と、社会のあらゆる面で心を砕く理由が「日本語」に仕込まれていると、わかりました。

 民主主義 = 人はみな平等 (実力主義)
 伝統的価値観 = 年功序列

的な傾向がありますから、日本のダブルスタンダードがなかなか無くならないのかもしれません。

最近、『ニッポン女子力』能町光香、(2012年)という本を読みました。欧米経験豊富な著者が、ニッポン女子の良さを発見する、という内容です。軟らかい本ですけれど、なかなか面白かったです。
感想をひとつ。日本人は、人の「欲」に対して甘いのかな、と思いました。
2 ■Re:久々の日本語シリーズですね!
>猫紫紺さん
いつも励ましてくださり、感謝です。
こちらこそ、御コメントには、いつも貴重な示唆や刺激をいただいています。

「快刀乱麻を断つが如く」ではちゃんちゃらないものの、自らの感覚をある程度は信じてこれからも精進していきたいと思っています。
今年は腰を据えて日本語論に取り組もうと、「思っ」てはいるところです^^;。

>社会のあらゆる面で心を砕く理由が「日本語」に仕込まれていると、わかりました。

この「心を砕く」対象が、もう少し「自分・相手」関係から、「主体・客体」関係にスライドすれば、PTA問題も好転するのではないかと思うのですがね。
<事態を成り立たせる「主体」>に無頓着な傾向(ナル的傾向)は、行為主体・決断主体としての「人権」の軽視と間違いなくつながっているように思っています。
が、そのあたりをいかに多くの人に説得力のある形で提示できるかが課題です。

『ニッポン女子力』、ぜひ読んでみます!

>感想をひとつ。日本人は、人の「欲」に対して甘いのかな、と思いました。

それ、分かります。
その「欲」って、「情念」と言い換えてもいいですよね?
このあたりの点についても、「構文」とからめて取り上げたいなと。
3 ■Re:Re:久々の日本語シリーズですね!
>まるおさん

>その「欲」って、「情念」と言い換えてもいいですよね?

そうですね…。「情念」でもよいのですが、
こと『ニッポン女子力』に限った場合、「欲」は「甘え」と解釈するとよいように思います。
外国人エグゼクティブが、会議のため急な日程で来日するケースで、半日ないし1日の滞在延長を、本国の秘書ではなく能町さんに頼むケースが多いとの事です。そして、本国秘書にはだまっていてくれ、と。
これ以上の詳しい説明は、本に譲りますね。

では「情念」はどうでしょうか。こちらはむずかしいです。パスさせてください。

「怨念」に拡大解釈すると、
すぐ思い浮かぶのは、菅原道真公や平将門公の「たたり」を鎮めるために、神社に祀ったり塚を建てたりすることです。

あれですね、西欧では、ご遺体の事、単なる「Body」と言うそうです。
日本では、ご遺体にはまだ魂が近くにいるから、個人の好きな食べ物を棺に入れて、送り出す。
初七日、四十九日の意味、『チベット死者の書』をご覧になるとわかります。

東日本大震災の時も、日本では一切遺体の写真は報道されませんでしたが、海外メディアでは、ご遺体写真が報道されているケースもあるそうです。

これも文化の差、ですよね。
論点ズレまくりで恐縮ですが、続きます。
4 ■Re:Re:久々の日本語シリーズですね!
>まるおさん

><事態を成り立たせる「主体」>に無頓着な傾向(ナル的傾向)は、行為主体・決断主体としての「人権」の軽視と間違いなくつながっているように思っています。
はい、わたしもそれはつながっているように思えます。
そのルーツを探る事、わたしには圧倒的に知識が不足していてかなわず、なんとも悔しいのですが。ただ、この辺りかな~と思える事はあります。

1◆ブログ「小平の風」での、ベルク氏の指摘を補足。
http://bwukokusai.exblog.jp/11751237/
西欧にはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教等の【唯一絶対神】を戴く宗教があり、他宗教や他民族を征服していた事。また、彼らは、狩猟民族であり、厳しい自然と戦っていた事。
日本は、基本は仏教ですが、古来八百万の神がおられ、それは自然の至る所に宿っているというある種のシャーマニズムがあります。加えて、お盆にはご先祖様を迎える風習があります。守護霊をも認める人もいますよね。日本は、風光明媚で四季がハッキリとしている農耕民族だと一般的に言われます。

ここは想像ですが、
チームを組んでの狩猟は、状況に応じての個人個人の瞬間的な判断がものをいうのではないでしょうか。
対して農耕は、一握りの指示者がいれば、あとはそれに従う大多数がいれば成立します。

◆池波正太郎の小説『剣の天地』を読んだり『鬼平』を見たりしますと、日本人の武士階級は(いや江戸の町人も)、しっかりと自己を持って、行動している印象があります。
◆対して、日本の昔話(福音館:
小澤俊夫再話←この方重要!)を読んでいますと、なんともいえない気分になるときがあります。豊かな日本語で、よいおじいさんおばあさんVS悪いおじいさんおばあさんの構図、また、威張り腐る支配階級への反発など、人間として普遍的なテーマが潜んでいます。
5 ■Re:Re:久々の日本語シリーズですね!
>まるおさん

字数の関係で、3回も連投、申し訳ございません。

何が言いたいのか、自分でよく整理をしてみると…「お上」へ、お腹の中では反発しながらも、理不尽に対して従わざるを得なかった「負の歴史」。
河川の氾濫に対して「人柱」をクジ等で引いて立ててきた「負の歴史」

この当たりが、反動として

他民族へ対して、徹底的に意地悪してきた戦中戦後の「負の歴史」
(731石井部隊、南京大虐殺、捕虜をこき使う、従軍慰安婦、タコ部屋、在日問題)
PTAの「やらない人はずるい」に基づく各種の人権侵害

に通ずると考えたら、うがちすぎでしょうか。
6 ■Re:Re:Re:久々の日本語シリーズですね!
>猫紫紺さん
「欲」の説明、ありがとうございます。
『ニッポン女子力』中のエピソード、本を読まずに感想を述べるのはなんですが、理不尽なこと(つまり因果の筋が通っていないこと)が日本では容易に通ってしまうというお話は、<事態を成り立たせる「主体」>に無頓着な傾向のもう一つの現れとして興味深いです。
この場合、「主体」=「根拠・論拠」。

日本人にとっての「主体」の問題。
とても手に余る大きな問題ですが、おもしろいところですよね。
お話に刺激を受け、ベルク氏以外の論者の説もブログで整理してみたいと思いました。

5でおっしゃっていることは、丸山眞男の言う「抑圧の下方移譲」の話と大きく重なるように思いました。

今回も共感するところ、教えられるところ大でした。
ありがとうございます。

7 ■Re:Re:Re:Re:久々の日本語シリーズですね!
>まるおさん

さすが、まるおさん!
わたしの言いたい事を、一言で表現してくださいました。

くどいようですが『ニッポン女子力』中で、ことごとく「DNA」で説明されてしまっている事柄があります。
これ、わたしは「DNAってなんのこと~!」とツッコミながら読んだのですが、後書きになって、ようやく一つの解釈を得ました。いつか、語り合えますれば幸いです。

お気が向かれたときの日本語シリーズの続き、楽しみにお待ちしております。