<121> #16

2010-04-07 20:04:49

関係性の中の「わたし」⑥ 敬語(その4) 日本的敬語のもたらす問題性(ⅳ)

テーマ:エビデンスとしての日本語
ドレイというよりも「跡取り息子」

キーワード:
支配と被支配の権力関係・ドレイ的訓練
庇護と被庇護の親子的関係・跡取りとしての特権

欠如するもの
対外部的:透明性・公平性・公開性
対内部的:対等な立場によりなされる真の対話

(本文)
日本語においては、一方の人物は敬語を使った丁寧な表現をし、もう一方の人物は敬語抜きの“丁寧ではない”表現をするということが往々にしてある。敬語の「非相互的」な使われ方である。

このような敬語をめぐるあり方を、田中克彦氏は、
「上、下、もっと社会学的に言えば、支配と被支配の権力関係に根ざしている」

「権力関係そのものを反映するだけではなく、その権力関係を温存し、形骸化した後もなおも強化しつづける点で、平等主義と民主主義にとっては絶えざる敵である」
と問題にする。そしてさらに次のようにも言う。

**
敬語の習熟にいそしむことは、決して知力の鍛錬に貢献しないのみか、その逆である。それは、人類がすでに克服して来た、支配と従属の心理を、言語的に心に刻むための、ドレイ的訓練である。
**

以上、前エントリのおさらいでした。

日本語における敬語が「上、下、もっと社会学的に言えば、支配と被支配の権力関係に根ざしている」という側面を持つのは、確かであろう。しかし、申し添えたい点もある。

というのは、日本語において敬語が使われる要因には、(その1)で触れたように、「上下」の関係だけではなく、「親疎」(親密・疎遠)の関係もあるからだ。この点を見落とすべきではないと思うのだ。

上に立つ者が権力を笠に着て誰彼かまわずぞんざいな言い方をすることもあろう。だが、むしろ「非相互的」に敬語抜きの言い方がなされるのは、典型的には、相手が「下」でかつ「親密」の場合ではなかろうか。

私事で恐縮だが、私の属する組織全体のトップ(大親分と呼んでおく)は、(めったに口をきくことはないが)私に対してかなり丁寧なもの言いをする。私に対して敬語抜きの言い方をするのは、毎日のように私と顔を合わせる私の属する部署の上司(小親分や中親分)である。小親分や中親分は、組織全体のトップである大親分からすれば格下であるわけだが。
注:小親分や中親分がみんな敬語抜きの話し方をするわけではない。個人差もある。また、同じ親分が話の内容や場面により、敬語を使ったり、使わなかったりということもある。

つまり、単に上下関係という「権力関係」だけではなく、そこに「親密」さがないと、非相互的な無敬語表現は現れにくいということなのだ。


「自分は相手に丁寧な表現をしているのに、相手は自分に対して『無敬語な言い方』をしてくる」というシチュエーションは、日本人ならだれでも経験していると思う。
しかし、そのことに対して、田中克彦氏や宇佐美まゆみ氏のように「異議申し立て」をする人はゼロに近い。

その背景には、無敬語表現が使われるには、「親疎」の「親」がかんでいるということがあるのではないか。
だから、目上の相手から無敬語表現を使われる者のことを、単なる「ドレイ」とは言いにくいように思うのだ。

たとえ上下の関係が成り立っていても、「疎」の相手、「外」の相手には無敬語表現は、ふつうは、使われない。
ということは、「支配-被支配の関係」というよりも、「庇護-被庇護の親子的な関係」が敬語の使用にはつきまとうということになる。
つまり、「権力者」から無敬語な言い方をされることは、ドレイ扱いされるというよりも、「跡取り」として特別扱いされていることの証という側面をもつわけである。

このいわば、親分-子分的な関係性が、非相互的、つまり不平等であるにもかかわらず、敬語に対する批判的な見方を成り立たせてこなかった背景にはあるように思われる。


しかしながら、そのような特権的な関係性は、外部的には、外に対して内をとりたてて区別するものであり、内閉性(つまり、透明性・公共性の欠如)とつながり、内部的には、特別扱いはされつつもそこに上下の傾斜は厳然とあるわけであり、対等な立場によりなされる真の対話の成立を難しくする
追記:「上下の傾斜」の存在は、親密な関係とは言え、下の者から上の者へは「無敬語」表現が通常使えないことに見てとれる。

下の立場に立つ者は、特別扱い(地位と名誉)という特権(飴)と、やはり存在する上下の傾斜(鞭)のセットによって、その口をふさがれることになるのだ。


上に立つ者が、その権限と責任において部下に命令をする。部下を上に立つ者として評価する。
近代的な組織においても存在する、そのような上下関係、そのような権力関係と、敬語の使用にまつわる「権力関係」は区別されるべきではないだろうか。

敬語にまつわる上下関係は、もっと生温かく、もっと上と下の境が不明瞭な、もっとべたべたしたもののような気がしている。


ここに描きだそうとした関係。
日本の組織のいたるところに認められるものではないか。
ひとかどの組織には“ライン”というものがあろうが、そのラインのあるところ必ずと言っていいくらい、「上司と腹心の部下」を典型とする「上下的・内閉的な関係性」があるのではないだろうか。
組織の中での“ライン”の大きな役割を考えるとき、日本の社会は、ここで見た、敬語的上下関係(上下関係+「親密」関係)により成り立っていると言っても過言ではないように思うのだ。
組織の「芯」を構成している人間関係のユニットが、真の意味での対話の成立を阻害する関係性に浸かっていることは、ほんとうにゆゆしき問題ではないだろうか。





1 ■義理人情の関係?
確かに…、
「 ドレイ 」とか「 支配 」という表現は
一面的な感じがする。


上下関係と言っても
「 持ちつ持たれつ 」の関係があるよね…。


「 親分子分 」の関係って
「 義理人情 」の関係とも言えるのかな…?

2 ■敬語の謎
まるおさん、まとめ読みで申し訳ございません。
「上下」「親疎」の二対立項があること、勉強になります。

わたし、敬語が苦手で、新入社員時代に「敬語に気を付けるように」と注意されたことがあるくらいです。自慢にもなりませんが(汗)。
おかげさまで、いま、謎が解けました!
関係性への配慮を、意識できなかったのです(私事で恐縮ですが、多分、両親にもその傾向があります)。
自分の中での 民主主義指向、個人が確立しているフランスの小説『三銃士』に現れている実力主義への憧れ、『ロビン・フッドの愉快な冒険』の横暴権力への反骨精神とおちょくりと友愛の憧れ、その他もろもろ、です。これがあるがゆえに、「人名+役職」で上司を呼ぶ組織にはなじめませんでした(自爆)

言語を使って人は思考し、感情に名を与え、言葉を話すことで、いつしか精神が規定されて行くのですね。

エントリを拝読して、敬語とは違うのですが、日本語と生きる姿勢をテーマにした『「ら」抜きの殺意』永井愛:著 の戯曲を連想しました。コメディです。
http://www.t-echo.co.jp/ranuki/02.html
日本語の乱れを憂う紳士が主人公なのですが、上司・恋人などの相手によって、言葉遣いと態度を変幻自在に使い分ける女性が出てきます。男言葉を意識して使う女性が出てきます。面白いですよ~!
ネットで調べたら、ヒット作品のようです。


3 ■Re:義理人情の関係?
まるおさん、横ですみません。

>里山たぬ子さん
『「浅草博徒一代 伊地知英治のはなし」』佐賀純一(筑摩書房)によりますと、

戦前は、ばくち打ちと警察の間にも、持ちつ持たれつの関係があったそうです。

4 ■無題
実は…、
「 非相互的な敬語 」については
今まであまり考えたことがなくて…。

「 体育会系の人がよく使っているなぁ…。 」
というイメージぐらいしかありませんでした。


でも、よく考えたら
日本中どこにでもありますよね…。

テレビドラマなんかでも、主役と準主役の人が
「 非相互的な敬語 」を使っていることもあるし…。


「 非相互的な敬語 」(親分・子分の関係)って
とても大きな問題だったのかなぁ…、と思いました。


私は、敬語を使う機会が少ないので
違和感をあまり感じなかったのかな…。 (?)

5 ■Re:義理人情の関係?
>里山たぬ子さん
>確かに…、
>「 ドレイ 」とか「 支配 」という表現は
>一面的な感じがする。

そう。まさに「一面的」と言うべきですね。
「非相互的」な用法が成り立つ場合の多くは、「親密」さが関与していますからね。

>上下関係と言っても
>「 持ちつ持たれつ 」の関係があるよね…。

「上下の傾斜がありつつ、親密でもある」。
この関係性は、要注目かもですね。

6 ■Re:敬語の謎
>猫紫紺さん
「関係性への配慮を」云々のお話、興味深く伺いました。
で、話は飛躍するようですが、PTAに対して「異議申し立て」ができるには、日本の文化にどっぷりとつかっているような人には難しいのかもと改めて思われましたです(にっこり)。

『「ら」抜きの殺意』のご教示、ありがとうございます。

「言葉遣いと態度を変幻自在に使い分ける」
これって、日本人すべてにも当てはまる話でもありますね(?)。

ちなみに、「『人名+役職』で上司を呼ぶ組織」は私にとってもとってもなじみ深いですが、最近は誰であれ「○○さん」と呼ぶ会社があるそうですね。
雑誌か何かで読んで、そんな奇特な会社があるのか?と思っていたら、「いや、うちも。」「いや、うちもですよ。」と立て続けに「○○さん」方式の会社に勤めていた人に遭って、驚いたことがあります。
う~ん、そう言えば、この方たちもPTA問題仲間です(またにっこり)。

7 ■Re:無題
>里山たぬ子さん
私も、「 非相互的な敬語 」について考えるようになったのは比較的最近です。
特に、そこに絡んでくる「親密性」についてはっきり意識するようになったのは、このエントリを立ててからです。

テレビドラマの例というのは、たとえば、「ナースのお仕事」での観月ありさと松下由樹さんの、

「先輩、~~ですよね」
「そうだよ。朝倉!」

というようなやりとりのことですね。

>「 非相互的な敬語 」(親分・子分の関係)って
>とても大きな問題だったのかなぁ…、と思いまし>た。

森有正が言っている、日本人の人間関係の特徴としての、「上下的かつ一体的」ということの意味合いがいまひとつすっきり理解できないでいた(つまり、なんでその二つのものがセットになるのか?のあたり)のだけれど、なんか見えてきたな~という気がしないでもないですね…。

とにもかくにも、次のエントリは、森有正の敬語論の紹介をしたいと思います。

「見えてきたという気がしないでもない」というのは、もったいぶっているのではなく、今の正直な気持ちです^^;。

8 ■Re:無題(追記)
>里山たぬ子さん
そう言えば、ドラマに現れた「非相互的な敬語」の例としては、「のだめカンタービレ」における、のだめと千秋先輩のやりとりがありますね。
大学のサークルの先輩・後輩の間柄なのだから何の不思議もないわけですがね。

いっぽう、トリックの山田奈緒子(仲間由紀恵)は、自称天才物理学者の上田次郎(阿部寛)にたいして、「上田!」とか、「お前、何やってるんだ。」とか敬語抜きの言い方をしていて、ふたりは「相互的に無敬語」なやりとりをしていますね。
アンチ日本的ムラ社会なドラマなので当然かもです。

9 ■無題
( おまけ )

そう言えば…。

「 相棒 」(水谷豊、及川光博)では
「 相互的な敬語 」を使ってます…。


敬語を使っても、使わなくても
「 相互的 」な場合は
「 親分子分の関係になりにくい 」のかな…。 (?)


10 ■無題
( おまけの続き )

もしかしたら、PTAなんかの場合も…。

非相互敬語を使った「 親分子分の関係 」が強いPTAほど、
無理な活動が多いのかも…です。


(少なくとも私の関わったPTAは、そうでした)

11 ■Re:無題
>里山たぬ子さん
彼らは「特命係」で、ラインから外れていますからね。

「刑事部→捜査一課」のラインではしっかりと「非相互的な敬語」が使われていますよね。
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/cast/index.html

>非相互敬語を使った「 親分子分の関係 」が強
>いPTAほど、
>無理な活動が多いのかも…です。

傾向としてはそういうことが言えるかもしれないですね。

12 ■無題
( たびたび失礼します )

ドラマには詳しくないのですが…。

確かに、刑事ドラマって
「 親分子分の関係 」を強調したものが多いような。

昔で言うと…、
「 太陽にほえろ 」とか。

実際の刑事さんたちも
ああいう雰囲気があったりするのかなぁ。



ところで…。

最近、外国の探偵ドラマ(ポアロのDVD)を
見るようになったのですが…。

主役(ポアロ)と準主役(ヘイスティングス)が
対等にやり取りしていて…。

日本人の感覚では、
少し不思議な感じがしたりします。

「相棒」(水谷豊主演)は
このドラマを参考にしているのかも…。 (?)

13 ■Re:無題
>里山たぬ子さん
まず補足。
「相棒」の杉下右京(水谷豊)が「非相互的な敬語(後輩格に対し非敬語)」を使わないのは、ラインから外れているということの他に、彼がイギリス帰りであることも関係しているのかもしれませんね。

>確かに、刑事ドラマって
>「 親分子分の関係 」を強調したものが多いよう
>な。
(中略)
>実際の刑事さんたちも
>ああいう雰囲気があったりするのかなぁ。

たぶんそうだと思いますよ。
身の回りの「組織の中の敬語」に注目したところ、
思っていた以上に「非相互的な敬語」が見られ、ちょっと驚いています。
人の入れ替わりが激しい混成部隊などを除けば、組織のあるところ「親分子分の関係」があるところはまだまだ多いように思いました。

14 ■「 日本語の非相互性 」
それから…。

「 人称詞 」、「 男言葉女言葉の使い分け 」なども
非相互性が強いですよね…。


「 日本語の非相互性 」 = 「 日本語の非対等性 」

とも言えるのかも…。 う~ん…。

15 ■Re:「 日本語の非相互性 」
>里山たぬ子さん
>「 人称詞 」、「 男言葉女言葉の使い分け 」など>も非相互性が強いですよね…。

確かに。
「あなた」「お前」は目上から目下へは使えるけれど、逆は不可。「彼・彼女」も同様。
役割名は、「お父さん」、「お兄ちゃん」と下から上へは人称として使えるが、「子供ちゃん」、「弟ちゃん」のように、上から下は不可。

「 男言葉女言葉の使い分け 」は、「日本語の特徴と言われてきたものはすべて存在する」とまで言われる韓国語にもないそうです。

それにしても、日本語というのは、「神の下の平等」から本当に遠い言語ですね。
このことは、「役割」、「分」というものが個人を縛る度合いが強いと言いかえることもできるでしょう。

>「 日本語の非相互性 」 = 「 日本語の非対等性 」
>とも言えるのかも…。 う~ん…。

「非対等」。
なるほど、そうですね!

人称詞と言葉の性差。
遅れていますが、いずれ取り上げたいと思っています(汗)。

16 ■全体主義のバロメーター?
もしかしたら…。

「 非相互な日本語 」(非対等な日本語)が
たくさん使われている集団ほど
全体主義の傾向が強いのかも…です。


いくら実力があっても…。

自分だけ無敬語で、
周囲ににらみを利かせているような人は
やっぱり、ちょっとなぁ…、と思ったりしました。
( お局役員さんタイプの人、とか? )