<174> #0

2011-03-01 21:44:32

「だから」の情意表出的用法成立の背景(その1) 情意の突出と論理の消失

テーマ:「だから」の情意表出的用法成立の背景
<「それで」にはなく「だから」にはあるもの>
因果的関係を表わす接続詞として「だから」と同様に日常会話でよく用いられる接続詞に「それで」がある。ところが、「それで」には情意表出的用法は認められない。これはなぜだろうか。

「だから」と「それで」の違いとしてまず指摘できるのは、後件に来る表現の違いである。
「だから」は後件に事実・話し手の判断・命令・依頼・意思などいろいろな表現を述べることができる。それに対して、「それで」は、通常、後件に来るのは事実だけで、判断や命令・依頼・意思などは使えない(『初級を教える人のための 日本語文法ハンドブック』(スリーエーネットワーク)参照)。

(1)昨日大雨が降った。{○だから / ○それで}、道がひどくぬかるんでいる。(事実)

(2)今日は5・10日(ごとうび)だ。{○だから / ×それで}、道が混んでいるだろう。(判断)
(3)急いでいるんです。{○だから / ×それで}、早くしてください。(依頼)
(4)辛いのは君だけじゃない。{○だから / ×それで}、勝手を言うな。(命令)

このように、「だから」の後件には事実だけではなく、話し手の判断や依頼や命令が来られる。このことは、「だから」は「それで」とは違って、「判断・主張の根拠」を表すことができることを意味する。


<「だから」が根拠と主張の関係を構成することの意味>
判断・主張の根拠を示す性質が「だから」にあるということは、「だから」表現を使ってある判断なり主張なりを述べる場合、話者は自らの判断・主張(つまり「自らの言わんとすること」)を根拠付けられた、受け入れられてしかるべきものとして相手に提示することになる。

商品のアピールをするコピーに「それで」ではなく「だから」が多くつかわれるのもそのためだと考えられる。

(5)一番しぼり油100%。だから、コクと風味が生きています。(食用油商品説明)
(6)生乳から脂肪分だけを除いてつくりました。だから、粉っぽくない、甘くない、スッキリとした飲み口です。(低脂肪牛乳商品説明)

(5),(6)例のようなコピーにおいて、「だから」の代わりに「それで」を使うことは通常ないだろう。

いっぽう、次の例では「だから」よりも「それで」の方がふさわしい。

(7)申し訳ありません。きのうは急に高熱が出てしまって、{○それで / ??だから}、勝手ながら休ませていただきました。

(7)例のように、まずいことをしてしまったと謝罪・反省している自らの行為に「だから」が使い難いのは、「だから」を使うと、自らの行為を根拠づけ、正当化してしまうことになるからだろう。どうしてそんなことをしてしまったのか、その「原因」を語ることは許されても、「根拠」を語り正当化することは許されにくいというわけである。


<「権利としての受け入れ要請意識」の突出>
以上、「だから」には、「それで」とは違って、通常の用法(論理構成的用法)においても、“自らの言おうとしていることは受け入れられていいはずだ”とする気分が潜んでいることを確認してきた。
「だから」の情意表出的用法とは、論理構成的用法においては背後にあったこのような情意が、通じていいはずのことが通じ(てい)ないいわば非常事態の中で突出し、「根拠-帰結」の関係を表示するという論理的側面を押しのけてしまった結果生まれたものと考えられる。

“自分が言おうとしていることは受け入れられていいはずだ”とする「主体的・情意的側面」が突出し、その前後の論理的な関係を表示するという「対象的・論理的側面」が消失してしまったものが「だから」の情意表出的用法であると位置づけられる。


<次の課題 なぜ情意が突出し、論理が消失するのか?>
「だから」と同様、判断・主張の根拠を示し、自らの立場・主張の受け入れを求めるという<話者の姿勢>を含み持つ表現は、どの国の言葉にもあると言えそうである。しかし、どの国の言葉においても「だから」と同様の<話者の姿勢>の突出が起るわけではない。
韓国・朝鮮語にはあるが、欧米の言語(英・独・仏・ポーランド)、中国語、モンゴル語にはないようだ。

では、なぜ日本語の「だから」では情意の突出と論理の消失が起こるのか?
次にこの点について考えていきたい。


なお、前エントリと本エントリで述べたことは、拙稿、加藤 薫(1995)「“原因・理由”を受けない『だから』 ―『だから』の主体的側面の突出― 」(『早稲田日本語研究』3号)を基にしています(「一部改正」しています)。また、加藤(1995)は、泉子・K・メイナード(2004)『談話言語学』(くろしお出版)で紹介されています。

というわけで、ここから先は、授業で取り上げたり、研究会で発表したりはしていますが、「未知」の領域になってきます(汗)。