<140> #3

2010-07-12 18:12:51

中根千枝氏の「タテ社会論」について(3) 「場」による集団がもたらすもの ―たえざる人間接触―

テーマ:日本人論
本日、二投目です。
中根氏は、「場」の共有によって集団が構成される場合、「集団結集力を導き出す何らかの方法が必ず講ぜられなければならない」という。

集団が個人的な属性(すなわち「資格」)の共通性によって構成されている場合は、その構成員の同質性自体が集団結集力の成立に大いにものをいうのに対して、同質性を有せざる者が「場」によって集団を構成する場合は、それは寄り合い所帯であり、もっと言えば「群れ」にすぎないからである。


寄り合い所帯たる「場」による集団が集団としての機能をより強くするために二つの方法がとられるという。
一つが、
「枠内の成員に一体感を持たせるための働きかけ」
であり、
もう一つが、
「集団内の個々人を結ぶ内部組織を生成させ、それを強化する」
ことである。
(まるお注:後者の「個々人を結ぶ内部組織」は、庇護と被庇護の親分・子分関係と密接にかかわる。が、ここではまず前者についてみておく。)

「資格」の違いは理性的なものである。そのような違いを乗り越えるためには、感情的なアプローチが必要とされるのである。そこでとられることになるのが、「たえざる人間接触」である。

** 引用 **
この感情的なアプローチの招来するものは、たえざる人間接触であり、これは往々にしてパーソナルなあらゆる分野(公私をとわず)に人間関係が侵入してくる可能性をもっている。
*********

会社終了後の居酒屋等でのノミュ二ケーション、社内運動会、慰安旅行等の日本の会社組織の特徴とされてきたものが、ここで言う、「人間接触」の例であることは言うまでもない。


PTAにおいて、飲み会やランチパーティ等への参加を求められて辟易している保護者の話を聞くことがある。
この問題は、おやじ・おばばの酒好き、騒ぎ好き、有閑マダムの暇つぶしという側面からだけではなく、【「場」による集団が必然的に招来するもの】という視点からの考察も必要ではないだろうか。





1 ■無題
ピラミッド型の上下関係なんかで構成してると連携が効率よくできないぞ !
伝えなきゃいけないことを直接伝えないで間接的な伝え方をさせてると、伝わることがありのまま伝わらないよ 。
担当者に伝えなきゃいけないことを、末端の管理職ひとりひとりにいちいち報告するのってバカみたいじゃない ?
何のために役割分担をしているのかそれじゃ意味ないじゃん、そうでもしないと末端の管理職の立場がないからじゃないの
日頃、直属の上司としての役目がないから、アラ探しして人を悪く言ったりやみくもに怒鳴り散らしたりてエラく見せようとするんだよ


2 ■Re:無題
>Wei Yingさん
仕切りなんか作ったら、旨く連携出来ねえよ。
ましてやそんな狭い世界の中で、同じ部署に所属している者同士が競争なんかさせたらよ。
敵対している他の組織とかならともかく、同じ部署に所属している者同士が競争して何になるんだよ。
競争すれば問題は解決するのか?
競争すれば景気は回復するのか?
敵対してどう連携できるんだ?
どうやって団結していくんだ?
連携も団結もロクに出来ねえで何が組織だよ!
何が協調性だよ!
それじゃ何とかしなきゃいけねえモンも何とかなんねえよ!


3 ■無題
画一的で管理された学校生活、社会生活をおしつけるから、 自分の頭で考える、自分で決めて行動してみる、自分の体験で知恵を培う、自分で責任を負う、 異文化摩擦でふだん使わない脳ミソを磨く、いいことも悪いことも経験して共感や痛みへの感受性を深める、などの個人を深めるアイデンティティを培う機会が少ないからと思います。 ( ゜∋゜)
ワタシ的に解決方法を考えますと、若者たちはもっと正当な恋愛をたくさんして、どうすれば人を深く愛せるのか、 どういう人間であれば愛されるのか、どうすれば人を幸せにできるのかなど身もだえして学ぶのがいいと思います。ヾ( ´ー`)
情報が氾濫し個人の言動は管理され、人とぶつかりあうまみれあうそんな経験はなくなってしまい、孤独や愛や自分と向き合う機会も少なくなっているのではないでしょうか。乾いてますね……