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2009-05-24 00:18:57

「学級PTA」論への疑問 (その1 学校(担任)主催の保護者会ではなぜいけないのか)

テーマ:PTA


>「たぬ子の哲学ノート」(http://tanuko418.exblog.jp/10683493/)でも取り上げられている川端裕人さんの「学級PTA」をめぐる発言について考えてみたい。
川端さんのPTA論には共感するところ、教えられるところ多大であるが、すべてに共感できるわけではない。
今回は、その合点の行かないところを率直に述べてみたい。
現状のPTAが病めるものであることは、今や誰の目にも明らかになってきたと思う。
問題は、「では、こんなPTAをどうすればいいのか?」だ。
川端PTA論に対する率直な疑問の提示が問題解決の「足し」にわずかでもなればと思っている。

川端さんは、「日本教育新聞」(4/6)のインタビュー記事において、PTA問題に対する現実的な処方箋として次のような提案をしている。
*****
(「保護者を追い詰めて子どもにまでしわ寄せがいくような活動は、限界に来ています。」と、現状のPTAの危機的状況を指摘した上で)
もっとも今、声高に任意加入であることを徹底すべきと述べることが、問題解決への最短距離かどうかは分かりません。「PTAが崩壊してしまう」と怖がる人もPTAの中枢には多いのです。
 そこで、もう少し手を付けやすい第一歩として、提案があります。各学級、学年で活動する学年・学級委員会のようなものはしっかり維持し、他の委員会・専門部は、クラスごとに〇人と義務的に選ぶことをやめるのです。
 学級PTAは、保護者同士が学び合い、育つ場です。クラス単位の懇談会、懇親会は、保護者が多様性に触れる機会ですし、どんな話題が出るにしても何かを得て家庭に持ち帰ることでしょう。クラスの問題を共に解決しようとする中で保護者同士、また、教師との信頼関係を深めるPTAの本質的な部分を担っています。
 一方、多くのPTAには、広報紙を発行する委員会、講演会を開催する委員会などがあります。それぞれ重要な業務ですが、「やりたい人がいないなら今年はお休み」くらいの覚悟をすること。広報紙や講演会がなくても、子どもたちは不幸になりませんし、義務でなければ、逆に「じゃあ、わたしが」と言ってくれる人もいるものです。「ボランティア制度」として、委員会や専門部をボランティアに切り替えるPTAの事例もあります。義務としてではなく、自発意思での活動を増やすことが、保護者の成熟とPTAの問題の解決につながると期待します。
(以下、略)
*****

今回の記事での川端さんのロジックは、全員参加の部分は大きくは触らずに、PTA活動をだれにとっても必要なものに絞り込むことによってPTA問題を解決しようとするものとわたしは理解した。
理想を振りかざしても悩ましい現実は動かない。少しでも「PTAが保護者を追い詰める負担の構図」の解消を図りたい。このような氏の問題意識はわたしなりに理解し、共有もしているつもりなのだが、PTAの「本質的な部分を担う」ものとして、「学級PTA」を前面に押し出す点に関しては理解しがたいところがある。

そもそも、「学級PTA」とは、学校主催の保護者会とどこで線引きされるのだろうか?
学校主催の保護者会があれば、それで十分ではないか。それでは何が足りないというのだろう? そのような素朴な疑問を禁じえないのだ。

自身の体験に照らし、各学期の節目の学級保護者会は参加する必要性も、意義も強く感じられるものだった。先生がクラスの運営方針や子ども達の様子を話し、そのあと、先生の司会進行で、各保護者が簡単な自己紹介と家庭での子どもの様子を語る。保護者が家での子どもの様子を語るとき、先生から学校での様子を踏まえた適切な助言がなされたりもした。とても有意義かつ楽しいものだった。
子どもの担任の先生や同級生の親御さんと顔の見える関係になっておくことは、なにかトラブったときのためにも必要なことだ。

「学級PTA」を基本に据えることは必ずしも全員加入を意味しないと、川端さんは言うのかもしれない。しかし、わたしにはそのロジックはどうにも理解しがたいのだ。保護者と担任、保護者と保護者が話し合い、連携をする大切な場所を、「学級PTA」という形でPTAが押さえてしまったら、教師も保護者もPTAに参加しないという選択は事実上取れなくなってしまうではないか。

「いや、学級PTAと担任(学校)主導の学級保護者会とは違うのだ」と川端さんは言うかもしれないが、いったい両者はどこで線引きされると言うのだろうか? わたしには見当がつかないし、川端さんのこれまでの主張を読んでもはっきりしない。
というよりも、川端さんが「学級PTA」でやるべきこととしてあげていること(保護者と担任の話し合い、連携)は、本来「学級保護者会」でなされるべきことではないのか。
注:「学級PTA」についての氏による定義的な説明を紹介しておく。
*****
クラス単位で保護者と教師が話し合い、クラスの問題、家庭教育上の問題など、意見を出し合えるような場があれば、クラスは「強く」なる。
話し合いを通じて互いに理解し、信頼し合う大人たちの存在が、子どもたちに良い影響を与えないはずがない。(「PTA進化論⑤」)
*****

実は、氏は、その著書や雑誌連載の中で、「学級保護者会」と「学級PTA」はしっかり線引きすべきだとも言うのだが(『PTA再活用論』一章-2「基本は学級PTA」)、では、両者の活動はどこで線引きされるのかははっきりと述べられていない。わたしの認識不足かもしれないが、氏自身の中でも、両者の区別は明瞭につけられていないのではないだろうか。

「学級保護者会」と「学級PTA」(「保護者会」と「PTA」)の線引きのあいまいさこそ、PTA問題の「諸悪の根源」ではないかと、私は思っている。
「保護者会」との線引きの曖昧なままでの「学級PTA」の充実は、この問題の構造をより強固なものにしてしまいかねないと危惧されるのである。


川端さんは、一方で、常々PTAの任意性を強く主張されている。そして、その一方で「学級PTA」の充実を説く。現実は一筋縄ではいかないものだとしても、これは、非常に分かりにくい議論だと思う。
川端さんのロジックでは、「任意」と言っても、真の任意ではなく、「変わり者は深追いしない」という限りでの、いわば「似非任意」になってしまうのではないだろうか。
そう。現状のPTAと同様に。
(現状のPTAとて、明確な意思表示をすれば入会しないことも退会することもできるはずだから、任意と言えば任意だ。)






1 ■おっしゃる通り
まるおさん、ありがとうございます。
ご指摘の点のほとんどは理解できます。

たとえば、保護者会があれば、学級のコミュニティが維持できるであろうというきは、まったく異論はありません。
しかし、PTAであっても、よいとは思っていますが、ゼロから発想するならまったく推奨しません。

教育新聞は、コアな教育関係者が読む新聞であって、PTA関係者でもそれこそPTA階調でも読んでいる人は少ないし、P連あたになって、やっと読者が多少いるのではないかとそ想像ずくがゆえ、ああいうふうになったりもいたします。

自然、時々、ほかの本や論考の中で言っていることとはっきり矛盾したり、つきつめれば、おかしなとこがたくさんでてきます。

だからこそ、そのあたり、ぎしぎし、やってくださるなら、どんどん批判してください。

一点のみ、お気をつけて頂けるとうれしい(あるいは理解して頂けるとうれしいのは)、ぼくはPTAをめぐって、あるいは保護者と学校の関係をめぐって、望ましい方向という「ベクトル」ははっきり持っているつもりですが、唯一無二の理想型があるなどとははなから思っていません。

たぶん、まるおさんも同じだと思うのですが、ぼくよりもより狭いレンジで「興亜くべき姿」をイメージされているように感じます。

たぶんそれは、我々の考え方の癖みたいなもので、それを織り込んだ上で、「ここはこうなんじゃないか」とおっしゃっていただけると、よりすっきり論点が整理できることが多くなのではという気がいたしまた。

いずれにても、ぼくひとりが、基本的ベクトルは維持しつつお、ディテールにおいて、よくよく考えると整合性がとれないことを言っていたりした場合、突っ込んでいただける人がいるというのはありがたいことです。

これからもよろしくお願いいたします。
まるおさんの疑問出しは、群を抜いて「我が意を得たり」なのです。本当のところをいうと。
2 ■Re:おっしゃる通り
>カワバタヒロトさん
>しかし、PTAであっても、よいとは思っていますが、ゼロから発想するならまったく推奨しません。

この部分は、「すでにPTAがある学校では、学級PTAの『活用』もあっていいはず」とのご主張だと思いますが、わたしとしては、今回の疑問1~3に述べた理由により、問題を感じています。
(そのことへのカワバタさんからいただいた問い返しについては後ほど触れさせてもらいます。)

今回の疑問は、カワバタさんの文献間の主張のディテールにおける齟齬といったレベルの問題ではなく、PTA問題の解決のためにはみんなが真剣に考える必要がある問題だと信じて、提示しています。

わたしのレンジの問題ですが、わたしがこだわる点は、一点のみ。(建前ならぬ実質としての)任意性の保障です。
保護者会への参加(ミニマム)と、それ以上を求める有志の会(=PTA)への参加(オプショナル)を住み分けませんか? いっしょくたにされるのは息苦しいですっ!と主張することが、なぜ狭いのでしょう?

まあわたしのような一本調子もどうかとは思うのですが(汗)、「学級PTA」論は、くせ球というのか、かえって事態をややこしくしてしまうような気がするのです…。

あと、論点の整理の件は、課題とさせてください。

不躾な問いかけに、真摯にご対応いただき、心より感謝いたします。
3 ■無題
>(建前ならぬ実質としての)任意性の保障です。

ぼくもそれができれば一番いいと思います。けれど、「建前ではなく実質」の実質を保証するための妙案はお持ちですか? 

>「学級PTA」論は、くせ球というのか、かえって事態をややこしくしてしまうような気がするのです…。

そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
現実はすでに相当ややこしいので、それよりはましだと確信していますが。
4 ■決め事を2つ作れたら良いな、と思います
 すみません、場違いかもしれないですが。
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/2007/03/post_65c3.html
 こちらで、PTAが任意参加の場合に、非会員は学級PTAの時間はどうなるのか、お尋ねしたことがありました(二年も前ですね!)。その時に、PTA会員以外の人が居ると、学校からのボランティア要請はPTAに対してできなくなって良い感じだな、と思ったのが、PTAの輪郭を考える切っ掛けになりました。

 学級PTAなどを残す場合に、以下の2点がクリアできたら良いな、と考えています。

 1. 学校や地域やP連などから単位PTAを保護者の窓口扱いにして何か頼むことを禁止する。(任意加入・任意退会なら、PTA=保護者の団体では無いので、窓口として扱うことは本来は不可能)

 2. 会員は全て、委員・役員の任期中であっても、自由に退会届を提出でき、PTAは必ずこれを受理しなければならない。

 この2点は、通常のボランティア団体やサークルなどでは、結構当たり前のことなのではないかと。
 学級委員が、「この案件通らなければ、私は委員を降ります」とか、「思ってたのと違うので、辞めます」とか(笑)。で、そのクラスで全員、私も!私も!となれば、クラス全員でPTA離脱…、面白そう。それでも、やっぱり誰かが犠牲的精神で無理を引き受けちゃったりするんでしょうか?
5 ■Re:決め事を2つ作れたら良いな、と思います
>とまてさん
お返事が遅くなり、失礼しました。
お~っ、すでに二年前に「学級PTA」の問題を取り上げられていたのですね。言われてみれば、わたしも拝見したような気がするのですが、失念しておりました…。

>この2点は、通常のボランティア団体やサークルなどでは、結構当たり前のことなのではないかと。

その会の活動内容がその人にとって「不可欠」なものである場合、どうしたって、退会は難しく、総動員的なものにならざるを得なくなると思います。(「どうぞ退会してください」といわれても、ご本人が退会したがらないでしょう。)
1,2の点を解決するためには、担任との連携、保護者間のある程度の連携という、保護者にとっての「生命線」をPTAから切り離すのが肝要だと思っています。

通常のボランティア団体等では、なぜ自由な入退会が可能かと言えば、それが「生命線」とは全然関わらないものだからではないでょうか?

詳しくはないですが、アメリカのPTAは、わたしの言う「生命線」とは完全に切り離されていると思われます。
6 ■連絡網
おはようございます。
とても興味深く拝読させていただいております。

>1,2の点を解決するためには、担任との連携、保護者間のある程度の連携という、保護者にとっての「生命線」をPTAから切り離すのが肝要だと思っています。(まるおさん)

これは本当に大事だと思います。うちの子の通う学校は学校からの連絡を全家庭にまわすときは『地区の連絡網』を使っております。学級の連絡網というのも存在してますが、保護者の会が深く関わった地区連絡網でまわすため(学級の連絡網では兄弟がいる場合、ダブるので)退会すると学校の先生にお手間をかけることになるのかな、との相談があった時があります。こういう事も問題ですね。地区分けは災害時に集団で一斉下校が出来るように分けているものなんですが、こういった保護者の会の退会を躊躇させる、ありがたくない役目も持ってしまっております。

 学校によっては名簿は一切保護者がタッチしないところもあるようですね。うちでもやはり個人情報(住所、電話番号など)を役員をやっているからというだけで知ってしまうのはおかしいと、1ヶ月前に4人ほどの役員とやっと意見が合って副校長先生に意見をしに行きました。なんとか来年度は学校側がやってくれそうです。

 思わぬ所で保護者の会との個人の結びつきを感じます。どんどん切り離して行きたいと思っております。学校と個人が直につながる事が重要と感じております。
 長文、失礼しました。
7 ■Re:連絡網
>柳下さん
コメント、ありがとうございます。

>学校と個人が直につながる事が重要と感じております。
これ、わたしもほんとうに大切だと思います!
PTAへの加入が任意であることはカワバタさんなどのご奮闘により多くの人の知るところになってきたといっていいと思います。しかし、そこがきちんとされていないと、「周知・徹底」ならぬ、「周知・骨抜き」になりかねないと、わたしは危惧しています。
「周知・【徹底】」していくことが大切で、そのためには「任意性」を発揮できる「環境」づくりが求められると思っています。
現状は、そういう意味では、「環境」悪すぎですよね。PTA会費から卒業式の記念品を出すとか…。その他もろもろ。

連絡網の名簿をめぐり、学校の仕事を学校に還されたこと、すばらしいと思います。
8 ■自由に退会できるように出来なければ!
>まるおさん
 仰る通り、退会者が不利益を被る様なシステムであれば、PTAはいつまでも檻です。“任意加入”という看板は、絵に描いた餅、もとい、絵に描いたチャーハンです(里山さん、済みません。つい書いてみたくなってしまって…陳謝)。
 退会者も不利益を被らないし、会員にも不利益にならないようにする為には、費用・労働力など全ての面で、ここまでは保護者全員で、ここから先はPTA(=有志)で、という線を、内部からも外部(学校・地域・行政)からもはっきりさせられないならば、正直、「PTAなど無い方がマシ」と私も思います。
 例えば、お金に関してhttp://ameblo.jp/yodandesu/entry-10258896164.html。学校が個人から徴収した分については、毎度明細をプリントして渡されるのに、『生徒活動費』なる名目で徴収した分については非常に丸まった数字の一覧表を総会で渡されて、承認を求められるなど。何かにつけて、曖昧にするための装置として働いている感じがするんですよね。
9 ■絵に描いたチャーハン…。
ウケました…w  
ホントその通りですね…。

あと…、
いつか言おうと思っていたんだけど…。

おもちとチャーハンの比喩って
もともとは
とまてさんが言ってたんですよね…。

とまてさんのサイトで
誰かの話として紹介していたような…。

勝手に使って、
こちらこそ、なんかすみません…。
10 ■Re:絵に描いたチャーハン…。
>里山たぬ子さん
う、ウケました? 良かったぁ!
絵に描いた餅…え?餅?? で、赤くなったり青くなったりした後、誘惑に勝てずに書いちゃいました(笑)。
おもちとチャーハン、記憶に無いのですよね。
う~~ん、私、でしたか? 里山さんのオリジナルだと思ってましたv
11 ■Re:自由に退会できるように出来なければ!
>とまてさん
>保護者全員で、ここから先はPTA(=有志)で、という線を、内部からも外部(学校・地域・行政)からもはっきりさせられないならば、正直、「PTAなど無い方がマシ」と私も思います。(とまてさん)

激しく、同意であります。
ご紹介いただいた御ブログのページ、本体は拝読し、参考にさせていただいていましたが、その後の諸氏の怒涛のやりとりは見落としておりました。そのコメントのタイトルにある「いっそ、ばらしてしまったら(笑)」、まったくその通りだと思います。
全員参加を前提のもろもろのシステム(いっしょくたシステム)を一つずつ解除していく必要がありますね。
12 ■学級PTA論のその後(一事例の報告)
お久しぶりです。ぶきゃこさんブログの最新エントリから飛んできました。

  ***
「学級保護者会」と「学級PTA」(「保護者会」と「PTA」)の線引きのあいまいさこそ、PTA問題の「諸悪の根源」ではないかと、私は思っている。
  ***

この問題、御エントリから4年経った現在、自校ではこういう対応をしている、という報告です。

学校主催の保護者会の次第に、「学級PTA」という一項目が加わりました。司会進行が、担任の先生から、PTA保護者にバトンタッチします。

たったこれだけのことですが、会の趣旨がはっきりと色分けされます。(意識の低い人には、なんのことやら、かもしれませんけど)。
こんな対応をすでにしている学校もあります――と、一時例の報告でした。


13 ■Re:学級PTA論のその後(一事例の報告)
>猫紫紺さん
貴重な事例報告、ありがとうございます。