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2009-11-25 16:45:21

人権教育のために学校関係者が取り組むべきこと(その1)

テーマ:PTA
「人権教育の指導方法の在り方について[第三次とりまとめ]」に基づき、教育委員会や学校長、教職員が取り組むべき課題について整理したいと思う。

(教職員自身の問題としての人権教育)
「はじめに」には、次の一節がある。
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このため、(「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定。以下、「基本計画」という。)では)「全ての人々の人権が尊重され、相互に共存し得る平和で豊かな社会を実現するためには、国民一人一人の人権尊重の精神の涵養を図ることが不可欠であり、そのために行われる人権教育・啓発の重要性については、これをどんなに強調してもし過ぎることはない」として人権教育の重要性を指摘し、政府として人権教育・啓発を総合的かつ計画的に推進していくこととしている。
 一方、基本計画では、学校教育における人権教育の現状に関しては、「教育活動全体を通じて、人権教育が推進されているが、知的理解にとどまり、人権感覚が十分身に付いていないなど指導方法の問題、教職員に人権尊重の理念について十分な認識が必ずしもいきわたっていない等の問題」があるとし、人権教育に関する取組の一層の改善・充実を求めている
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人権教育とは教職員自身の問題でもあることが指摘されているのだ。

以下、本エントリでは、第Ⅰ章「学校教育における人権教育の改善・充実の基本的考え方」の1.「人権及び人権教育」の部分までをとりあげる。


(人権とは)
(1)「人権とは」では、以下のように人権が定義されている。
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 人権は、「人々が生存と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」と定義される(人権擁護推進審議会答申(平成11年))。また、基本計画は、人権を「人間の尊厳に基づいて各人が持っている固有の権利であり、社会を構成する全ての人々が個人としての生存と自由を確保し社会において幸福な生活を営むために欠かすことのできない権利」と説明している。
(中略)
 人権の内容には、人が生存するために不可欠な生命や身体の自由の保障、法の下の平等、衣食住の充足などに関わる諸権利が含まれている。また、人が幸せに生きる上で必要不可欠な思想や言論の自由、集会・結社の自由、教育を受ける権利、働く権利なども含まれている。
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学校教育やPTA等で「人権」というと「差別や排除はやめよう!」という話一色になりがちであるが、人権の大きな柱として「個人の自由」が正しく指摘されていることに注目したい。
なお、「集会結社の自由」には、「消極的な集会結社の自由」、つまり集会や結社に「参加しない自由」も当然のこととして認められていることにも注意しておきたい。

そして、まとめとして次のようにも述べられている。
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人権を侵害することは、相手が誰であれ、決して許されることではない。全ての人は自分の持つ人としての尊厳と価値が尊重されることを要求して当然である。このことは同時に、誰であれ、他の人の尊厳や価値を尊重し、それを侵害してはならないという義務と責任とを負うことを意味することになるのである
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この部分、入会や役務の強要、それに伴うプライバシーの侵害を行っているPTA幹部や学校関係者はよ~く読んでほしいものだ。


(人権感覚・人権意識とは)
(1)「人権とは」に続いて、(3)「人権感覚とは」という部分がある。そこには以下のような注目すべきことが述べられている。
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 人権感覚とは、人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚である。
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「人権意識」については、次のように述べられている。
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このような人権感覚が健全に働くとき、自他の人権が尊重されていることの「妥当性」を肯定し、逆にそれが侵害されることの「問題性」を認識して、人権侵害を解決せずにはいられないとする、いわゆる人権意識が芽生えてくる。
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そして、(4)「人権教育を通じて育てたい資質・能力」においては、「人権教育は、人権に関する知的理解と人権感覚の涵養を基盤として、意識、態度、実践的な行動力など様々な資質や能力を育成し、発展させることを目指す総合的な教育であることがわかる。」と述べられており、「人権感覚の涵養」の必要性が説かれているのだ。

なおなお!「人権侵害を解決せずにはいられないとする、いわゆる人権意識」は、続く第Ⅱ章第3節「教育委員会及び学校における研修等の取組」の中で、「向上に努める」べし・「高揚を図る」べし・「絶えず見つめ直す必要がある」とされているのだ!!
念のため、主語は教職員自身ですよ!

本来保障されているべき入退会の自由、役務を受けるか受けないかを決める自由が学校現場において、何十年もの間、全国的な規模で踏みにじられてきているというのに、いったい学校関係者はなにをやっているのだろうか?
また、文科省はこういう立派な文書を出しておきながら、なぜ、PTAをめぐる人権侵害の実態を放置しているのだろう?
本当に、本当に疑問である。


(人権教育の成立基盤)
1.「人権及び人権教育」のラストにある(5)「人権教育の成立基盤となる教育・学習環境」では、これまでにも拙ブログで何度も引用してきた「人権教育の基盤として、学校が人権の守られている場でなくてはならない」という考えが提示される。
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 人権教育を進める際には、教育内容や方法の在り方とともに、教育・学習の場そのものの在り方がきわめて大きな意味を持つ。このことは、教育一般についてもいえるが、とりわけ人権教育では、これが行われる場における人間関係や全体としての雰囲気などが、重要な基盤をなすのである。
 人権教育が効果を上げうるためには、まず、その教育・学習の場自体において、人権尊重が徹底し、人権尊重の精神がみなぎっている環境であることが求められる。
 なお、人権教育は、教育を受けること自体が基本的人権であるという大原則の上に成り立つものであることも再認識しておきたい。
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文科省発でこれだけすんばらしいことが述べられ、一方で消費者契約法の網がPTAにもかぶされた現在、PTAの正常化はもう「すぐそこまで来ている」という気もするのだが…。
皆様は、どうお考えでしょうか?
(つづく)